九州編(42):水俣(11.9)

 そしてすぐ隣にある水俣市立水俣病資料館へ。水俣病に関する資料を保存・保管するとともに広範な内容の展示があるので、時間の許す限り、じっくりと拝見いたしました。概要は知っているつもりでしたが、やはり現地に来て、解説を読み写真を見ると、水俣病の相貌が得も言われぬ迫真力をもって胸に迫ってきます。削り取られたような跡の残るコンクリートの写真は、激痛のあまり水俣病の患者が爪でひっかいた病院の壁。また胎児性の患者は母親の体内にあった水銀を吸収するため、母体への影響は軽くてすみ、「宝子」と呼ばれるそうです。その肢体不自由な「宝子」、成人式の晴れ着で着飾った娘を抱く嬉しそうな父親の写真も心に残りました。なお彼女は21歳で亡くなったそうです。そして水俣病と真向から取り組んだ石牟礼道子氏が書き記した言葉が展示してありました。"おとなのいのち十万円 こどものいのち三万円 死者のいのちは三十万円"(『苦海浄土』 講談社) これほど水俣病の本質を抉った言葉はないかもしれません。いのちは金で買える、それも僅かな金で、という企業と行政の論理。そして「みなまたの約束」という宣言があったので転記しておきます。
みなまたの約束

 水俣は過去50年の歴史の中には、いろいろな失敗がありました。そして、これらの経験を通じ、汚染された自然環境や混乱した社会環境を元に戻すことの困難を水俣は学びました。
 これからの50年に向かって、自然とのつきあい方、暮らし方、産業活動、コミュニティを「もやい」で捉え直し、いのちの輝きを増していきます。
 人が好き、自然が好き、住んでいる場所が好きと、素直に言える「まち」をつくります。

1 水俣はいのちを大切にします。
2 周りに異変があるときは、現場の声を大切にして、目をそらさず、しっかり調べます。
3 産業活動の目的は、利潤追求だけではなく、真の豊かな暮らしを支えることです。
4 行政の仕事は、住民とともに幸せな暮らしをつくりだすことです。
5 モノの豊かさだけの時代を越えて、もったいない精神の、落ち着いた暮らしを創造します。
6 失敗から学ぶことによって、失敗を無駄にしません。犯した過ちを素直に認め、行動で改めていきます。
7 過去を振り返り末来を想像しながら、少数の意見にも耳を傾けて、自分たちの地域は自分たちでつくっていきます。
8 水俣病の経験を伝えることは、いのちの大切さを伝えることです。

2006年10月21日 水俣病公式確認50年事業・みなまた塾委員会
 なお「もやい」とは、舟と舟をつなぎ合わせる「舫い」と、いっしょに仕事をする「催合い」の二つの意味を込めた言葉。そして「もやい直し」という言葉もあり、水俣病をめぐる差別と偏見によって損なわれた人々のきずなをつなぎ合わせるという意味だそうです。一読、これは戦後日本の陰画ではないかと感じました。以下のように書き直すと一目瞭然。
1 日本はいのちを粗末にします。
2 周りに異変があっても、現場の声を無視して、見て見ぬふりをします。
3 産業活動の目的は、利潤追求だけです。
4 行政の仕事は、企業に奉仕することと、己の利権を維持拡充することです。
5 企業の利潤に直結する、多消費型の暮らしをめざします。
6 失敗や犯した過ちは認めず、忘れ去られるのをじっと待ち、責任者の追及はしません。
7 少数の意見は無視して、過去を忘れ末来に思いを馳せず、今現在における企業の利潤が最大になるよう行動します。
8 どのような悲惨な事態が起ころうとも、企業の利潤が一番大切です。
 さらに4を「…企業と軍部…」に、5を「軍部の利権と企業の利潤に直結する、植民地の拡大をひたすらめざします」に、7を「…軍部の利権と企業の利潤…」に書き換えれば、これは戦前の日本の姿ですね。やれやれ、戦前においては民衆を犠牲にして軍部と官僚と政治家と企業が肥え太り、敗戦とともに軍部を切り捨て、戦後は民衆を犠牲に官僚・政治家・企業が肥え太る。こういう国をどうやったら愛せるのか、"愛国心"を怒号する方々に、ぜひ50分ほどで講義をしていただきたいものです。いいかげんにこうしたあり方を変えないと、私たちは弊履の如く使い捨てられてしまいます。(もう捨てられているか…) そういえば展示の中で、石牟礼道子氏の次のような言葉がありました。
 わたしのゆきたいところはどこか。この世ではなく、あの世でもなく、まして前世でもなく、もうひとつのこの世である。
 はい、私もゆきたい。みんなで一緒にゆきませんか。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-03-15 14:21 | 九州 | Comments(0)
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