そしてこれから「漱石の道」を駆け抜けて夏目漱石記念館へと向かいます。かなりきつい上りなので、背に腹は代えられない、電動を使うことにしました。途中に"菫程な小さき人に生まれたし"という漱石の句碑あり。崖に沿って右へと下るあたりは、熊本市街を一望できる恰好のビューポイント。
与謝野寛・北原白秋・平野萬里・太田正雄(木下杢太郎)・吉井勇の旅行記、『五足の靴』(岩波文庫)で下記のようにふれられている場所はきっとここでしょう。 上熊本の改札口を出て、今まで渇していた東京の新聞を求めたけれども、見附からなかったので、直ぐに人力車(くるま)を走らせた。坂の上から下の市街(まち)を展望すると、まるで森林のようである。が、巨細に見ると、瓦が見えて来る。甍が見えて来る。板塀が見えて来る、白壁が見えて来る。『ああ、熊本はこの数おおい樹の蔭に隠れているのだな。』と思いながら、彼方の空を眺めると、夕暮の雲が美しく漂っていて、いたく郷愁を誘われる。(p.67)さすがに木々は数えるほどしか見えず、そうした情景は昔日の感でした。一気に坂を下り、住宅地に入ると「宮部鼎蔵旧居跡」の碑がありました。解説板によると熊本藩勤王党の重鎮、1864(元治元)年、京都池田屋にて倒幕の密議中に新撰組に襲われて自刃した人物。吉田松陰もここを訪れたことがあるそうです。そして夏目漱石旧居(五番目の家)に到着。 彼は熊本在住中に、六ヶ所の家を転々としましたが、1898(明治31)年7月から一年八ヵ月と一番長く住んだのがここ坪井旧居。長女筆子もこの家で誕生し、漱石は"安々と海鼠の如き子を生めり"という句をつくっています。なお小説「二百十日」の素材となった阿蘇旅行は、この家にいた時のことだそうです。瀟洒な和風住宅で、付設されている洋館は後にこの家の所有者が増設したもの。座敷には漱石のからくり人形が置かれ、ひもを引くと猫を叩くようになっています。 わが畏敬する寺田寅彦が師・漱石とはじめて出会ったのもこの家です。以下、室内にあった解説をまとめてみました。五高の学生だった寅彦が、学期末に成績の悪かった友人のために、点数のことで相談にきたそうです。漱石は点数のことには触れず、「俳句とはレトリックの煎じつめたものである」と教え、その言葉に刺戟された寅彦は、「丸で恋人にでも会ひに行くやうな心持」で、自作の俳句をたずさえて漱石宅をしばしば訪れたそうです。 先生はいつも黒い羽織を着て端然と正座して居たように思ふ。結婚して間もなかった若い奥さんは黒縮緬の紋付を着て玄関に出て来られたこともあった。田舎者の自分の眼には先生の家庭が随分端正で典雅なもののように思われた。いつでも上等の生菓子を出された。美しく水々とした紅白の葛餅のようなものを、先生が好きだと見えてよく呼ばれたものである。うーん、目に浮かぶようですね。家の裏には、寅彦ゆかりの馬丁小屋も残されています。書生にしてほしいと頼み込んだ寅彦ですが、住居となるこの小屋を見せられてあまりの汚さに断念したといういわくつきの物件ですね。 先生のお宅へ書生に置いて貰へないかといふ相談を持ち出したことがある。裏の物置なら空いて居るから来て見ろといって案内されたその室は、第一畳が剥いであって塵埃だらけで本当の物置になっていたので、すっかり悄気てしまって退却した。併し、あの時、いいから這入りますと云ったら、畳も敷いて綺麗にしてくれたであったろうが、当時の自分にはその勇気がなかったのである。漱石は弟子の中でも寅彦を一番畏敬し、「吾輩は猫である」の寒月君のモデルは、寺田寅彦といわれています。彼がつくった短歌です。"先生と対いてあれば腹立たしき世とも思わず小春の日向" 時は日清戦争と日露戦争の戦間期、臥薪嘗胆と唱えながら次なる戦争へとのめりこむ世の中に、寅彦は腹立たしさを覚え、漱石との語らいに一服の清涼を感じていたのかもしれません。 本日の四枚、一番下が寅彦がたじろいだ馬丁小屋です。
by sabasaba13
| 2013-03-22 06:16
| 九州
|
Comments(0)
|
自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 お気に入りブログ
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||