そして円通寺に到着、西村家からは三十分ほどかかりました。比叡山を借景とした枯山水庭園で名を馳せていますが、もとは後水尾天皇の山荘(幡枝御殿)で、自らこの地を選び石を配したそうです。後水尾天皇といえば、天皇に対する幕府の統制と威嚇(
紫衣事件)に憤激し、幕府の制止をきかずに娘に譲位(明正天皇、859年ぶりの女帝)、徳川氏を心底てこずらせたあのお方ですか。これに懲りた幕府は、以後強硬策から懐柔策へときりかえ、修学院離宮の造営などに資金援助をしたそうです。こちらの山荘の造営資金も幕府から出たのかな。これには後日談がありまして、後水尾天皇の中宮は徳川秀忠の娘・東福門院和子で、天皇家の外戚となるべく家康によって送り込まれたのですね。ところがこの一件以来、宮中における立場が悪くなったようで、幕府も懐柔策をとっているため援護できません。精神に変調をきたしたのか、その後の彼女は衣装に狂い、ある半年間には1億5千万円もの服を注文したそうです。その用達をしたのが雁金屋、そう尾形光琳の実家です。光琳の才の背後には薄幸の女性の狂気があった…などと空想の翼がはばたいてしまいます。などという怪しげな蘊蓄はさておき、座敷に坐って枯山水と比叡山の借景を堪能、庭には楓の古木が一本あるだけですが、見事に色づいて光景を飾っていました。
それでは、わたくしご用達のお寺、蓮華寺へ向かいましょう。そうそう申し遅れましたが、JTBでもらったパンフレットに、京都人のソウル・フード「餃子の王将」一皿無料クーポンがついておりました。倒るる所に土をつかむ山ノ神、おまけに「餃子の王将」の餃子(あーややこしい)を食べたことがないそうな。もうすでに昨日の段階で、「食べる」という神託がくだりました。ようがす、そのしぶちんさと飽くなき探求心に敬意を表し、昼ごはんは「餃子の王将」でいただくことにしましょう。(途中にあったらだよ、あったら) ほのぼのとした"
飛び出しカップル"を撮影し、宝ヶ池通を東へ走っていくと…
ありました、やれやれ。袖触れ合うも多生の縁、これも運命とあきらめて入店しました。餃子定食とサービスの餃子とあま辛チキンを所望、中庸の味を堪能。ま、それなりの美味しさですが、餃子といえばやはり神保町の「
スヰートポーヅ」、ああまた食べたいなあ。
本日の二枚です。