三渓園編(5):椿山荘(11.12)

 バスで逗子駅に戻り横須賀線で大船へ、湘南新宿ラインで長駆池袋に行き、地下鉄有楽町線に乗り換えて江戸川橋駅で下車。神田川に沿った遊歩道を十分ほど歩くと、椿山荘の冠木門に着きました。
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 まずは椿山荘の沿革について、ホームページから紹介しましょう。
 椿山荘の周辺(東京都西北部目白台)は、南北朝のころから椿が自生する景勝の地で「つばきやま」と呼ばれていました。江戸時代初期には、神田上水の水役として出府した松尾芭蕉が、深川芭蕉庵に移るまでの4年間、椿山荘に隣接する関口竜隠庵(のちに関口芭蕉庵)に住んでいました。安政4年(1857年)の切絵図によると、現在の椿山荘の敷地は、上総久留里藩黒田豊前守の下屋敷であったことがわかります。山縣有朋が明治11年(1878年)に私財を投じて「つばきやま」を購入し「椿山荘」と命名します。山縣は明治天皇をはじめとする当時の政財界の重鎮を招き、椿山荘で国政を動かす重要な会議を開いていたようです。大正7年には、当時関西財界で主導的地位を占めていた藤田組の二代目当主「藤田平太郎男爵」が、名園をありのまま残したいと言う山縣有朋の意志を受け継ぎました。しかし、昭和20年の空襲で、山縣公爵の記念館や一千坪の大邸宅、樹木の大半が殆ど灰燼に帰してしまいました。幸い丘の木立に囲まれた三重塔は焼失を免れ、今もその曲線を空に映しています。昭和23年(1948年)、藤田鉱業(旧藤田組)から藤田興業の所有となります。藤田興業の創業者となった小川栄一は「戦後の荒廃した東京に緑のオアシスを」の思想の下に、一万有余の樹木を移植し、名園椿山荘の復興に着手します。
 なお松本清張氏は「昭和史発掘」第一巻(文春文庫)の中で、以下のように述べられています。
 なお、山県有朋も藤田伝三郎という長州出身の政商と結んでいた。明治十二年に有名な「藤田組贋札事件」が起っているが、山県が背後にあって藤田を助けた。今日、山県邸址である目白の椿山荘に国宝の五重塔が観光用に供せられているが、これは山県歿後、その邸を買った藤田伝三郎(のちに男爵)が持ってきたものである。いま、椿山荘が藤田観光の名になっているのも、その因縁からだ。(p.10)
 ま、政権の中枢にあった元老・山県有朋と、利権で結びついた政商だったということですね。なお「藤田組贋札事件」については「日本の百年2 わき立つ民論」(松本三之介 ちくま学芸文庫)に下記のような記述がありました。
 では、警察がなぜ藤田に目星をつけたか。もとをただせば、それは薩摩と長州の藩閥争いにあった。西郷・大久保を失った藩閥がグッと落ち目になった一方で、長州閥は日の出の勢いだ。そして藤田伝三郎は財界における長州派のチャンピオンだった。井上馨の先収会社をそっくり受けつぎ前山口県令の中野梧一を顧問にすえ、官界の長州派とスクラム組んでもうけ放題にもうけている。薩摩派にとってはどうも眼ざわりだ。藤田組の不正をあばけば、脈のつながる長州派がいっせいに悲鳴をあげるだろう。劣勢挽回をはかる薩摩派はそう考えた。ところで警視局は創立以来の薩閥の牙城で、上は川路利良大警視から下はひらの巡査まで、圧倒的に薩摩出身でかためている。そこで川路大警視の指令でかねてから藤田組にさぐりを入れていた。(p.80~1)
 その結果として、薩摩藩閥勢力によって仕組まれたのが、藤田組と井上馨が贋札をつくったという冤罪事件だったのですね。日本近代史における官僚と企業家の深く暗いつながりを髣髴とさせる二人です。山県有朋については、官僚・軍部の総帥として奸智姦計を駆使して、政党勢力・社会主義勢力の伸長を抑え込もうとした元老という印象をもっています。大逆事件の黒幕も彼ですね。原敬もほとほと手を焼いたらしく、心身が疲労していた明治天皇に、社会主義の脅威を幻想的に吹き込んだ彼のやり口について、日記の中で次のように書いています。
 山県の陰険なることいまさら驚くに足らざれども、畢竟現内閣を動かさんと欲して成功せざるに煩悶し、この奸手段に出たるならん。そのくせ余が去る一日大磯におもむくとき新橋より大磯まで同車し絶えず談話をなしたるに、一言も政治談をなさず、無論社会党に言及せず。彼の性行はつねにかくのごとくなり」(p.358~9) 「日本の百年4 明治の栄光」(橋川文三編著 ちくま学芸文庫)
 やがてその横暴さを憎まれ、宮中某重大事件によって勢力を失墜することになります。孤独で陰険な武弁ともいうべき彼が、造園に魅せられたというのもわかるような気がします。石や木や水や苔と対話をしながら、己の孤独を慰めていたのかもしれません。代表作は、小川治兵衛(植治)に指示して築いた京都の「無鄰庵」、岩本勝五郎に指示して築いた小田原板橋「古稀庵」、そして自ら指揮して築庭したのが、ここ「椿山荘」です。
by sabasaba13 | 2013-05-31 06:14 | 関東 | Comments(0)
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