『カルテット!』

c0051620_7532669.jpg 先日、山ノ神に誘われて映画『カルテット! 人生のオペラハウス』を見てきました。音楽を狂言回しにした映画で、幾多の映画評が絶賛している作品だそうです。音楽が大好きなので、それをテーマとした映画はずいぶん見てきました。『スウィングガールズ』、『グレン・グールド』、『オーケストラ!』、『THIS IS IT』、『コーラス』、そして『ブラス!』。どれが一番良かったかと問われれば、何の留保もなく『ブラス!』を挙げますが、さて本作はそれを凌駕してくれるでしょうか。さらに名優ダスティン・ホフマンの初監督作品ということでもあり、これは楽しみです。
 とある金曜日、待ち合わせは午後六時に映画館「日比谷シャンテ」一階の切符売り場、午後七時からの指定席券を購入し、夕食をとりましょう。映画やコンサートの際に、その近くのお店で美味しい食事をとることは、村上春樹氏曰く"小確幸"(小さいけれど確固とした幸せ)ですね。人生もそう悪くないと思えるひと時です。さて、事前に調べて銀座6丁目にある「あづま」という洋食屋に当たりをつけていたのですが、山ノ神が十分ほど遅刻したためちょっと無理そうです。映画館の近くで見つけた山手線ガード下のイタリア料理店「イル・バロッコ」に入ってみることにしました。前菜盛り合わせ、パスタはボロネーゼとボンゴレを注文。野菜の旨味と潤沢な大蒜のきいたソースに舌鼓を打ちました。値段もそれほど高くないしお薦めのお店です。そして映画館に入場しこれから上映されるいろいろな映画の予告編を拝見。うーん、面白くない。"蓼食う虫も好き好き"とは申しますが、大枚1800円を払う気持ちに全くならない貧相な予告編の数々に辟易。映画の質的レベルが相当落ちているのではあるまいか、と危惧してしまいました。こんなにお手軽に感動したり、怖がったり、面白がったできるほど、感性が劣化している方が増えているのかと余計な心配までしてしまいます。
 それはともかくいよいよ本編の始まり。舞台はイギリスにある風格のあるお屋敷、ここは引退した音楽家たちを世話する老人ホーム「ビーチャム・ハウス」です。主役は三人、若者に音楽の喜びを伝えることに生き甲斐を感じる真面目なレジー(トム・コートネイ)、若い娘にちょっかいを出すことを無上の喜びとする助平なウィルフ(ビリー・コノリー)、認知症気味の無邪気なシシー(ポーリーン・コリンズ)、いずれも声楽家でした。そこに新しく入所してきたのが、かつてこの三人と共に活躍した名歌手、狷介・辛辣にしてプライドの高いジーン(マギー・スミス)。ジーンはかつてレジーと結婚したのですが、彼女の浮気のためにわずか9時間で離婚したいきさつがあります。よりを戻そうとするジーン、あくまでもそれを拒むレジー。そうした中、ホームの維持費を調達するためのコンサートが計画されているのですが、その最大の呼び物としてこの黄金の四人組によるヴェルディのオペラ『リゴレット』の四重唱「美しい恋の乙女よ」を再現してはどうかという案が出ました。しかし、歌声と容貌の衰えに怯え、"老い"にうちひしがれるジーンはこれを断固として拒否。やがて三人によって、仲間・音楽・人生の素晴らしさを教えられた彼女は、ステージに立つことを決意します。脚光をあびながらしっかりと手を握り合うレジーとジーン、そして歌が始まります。
 終わった後もしばらく余韻にひたれる、後味の良い映画でした。舞台経験をもつ四人の名優の丁々発止とした演技には唸りましたね、うーん。なかでもちょっとした表情の変化や眼の動きで、孤独・逡巡・悲哀・矜持を瞬時に表現するマギー・スミスの演技には頭を垂れましょう。何年かアイドル家業をした後、「あたしは女優になったのよお」と臆面もなく映画に出演するどこぞの御仁にぜひ見ていただきたいものです。ビリー・コノリーの軽妙洒脱な演技と台詞にも脱帽、ややもすると重苦しくなりかねないストーリーを幾度も救ってくれます。私が一番気に入った台詞は、喫煙を厳しく咎める女性チーフに対するものです。「いいじゃないか、一週間長生きしたってどうせ雨降りさ」 座布団一枚! 私も使わせていただきます。そして全編にちりばめられる素敵な音楽の数々。「乾杯の歌」、「歌に生き恋に生き」、「女心の歌」、「白鳥」、「トッカータとフーガ」などなど。驚いたのは、各場面の中でそれらを演奏し歌っているのは、かつての音楽家の方々なのですね。多少のミスや音程の狂いなどものともせず、リラックスして音楽を楽しむその姿も見どころです。忘れてはいけないのがイギリスの美しい自然、緑なす野や森、夕暮れ空などを堪能。これが日本国東京都板橋区志村あたりを舞台にしていたら、印象はかなり違ったものになるでしょうね。

 というわけで、仲間と音楽と人生があれば、あとはお金と勇気がちょっとあればいい、と思わせてくれる素敵な映画でした。ただ偉そうに苦言を呈すれば、演出がやや単調で、良い意味での外連みがないこと。例えば一番の見せ場である最後の四重唱の場面で、歌が始まるとともにエンドロールとなってしまいました。それはないだろ、それは、アフレコでもいいから四人の名歌唱・名演技を聴かせて見せてくれよお、と二人して地団太。他にも、ここでこちらの心をぐわっしと掴む演出が欲しいとおもう場面が散見されました。よってもう一度見たいかと訊ねられれば、小首を傾げてしまいます。これまでに拙ブログに掲載した映画評を見返しても、もう一度見たいなと思う映画は『ブラス!』と『静かなる男』だけです。この作品を激賞した映画評論家の姿勢にもちょっと疑問を感じました。
by sabasaba13 | 2013-06-02 07:53 | 映画 | Comments(0)
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