瀬戸内編(3):仙崎(12.3)

 さてそれでは仙崎へと向かってもらいましょう。すると運転手さんから、近くに「竜宮の潮吹」という名所があるので寄ってみませんかというオファーがありました。現在の時刻は11:10、仙崎の街を散策し、12:45仙崎発の「みすず潮彩2号」に乗りたいので、それほどの余裕はありません。すぐ近くでしたら寄ってくださいと、とりあえず承諾。ところがぎっちょん、「竜宮の潮吹」に行くまで二十分もかかってしまいました、やれやれ。こちらは、岩壁に打ち寄せた大波が岩の穴に流入し、音を立てて空中に吹きあげる名勝とのことですが、気象条件や波の状況が適していなかったためか、それほどの迫力ではありませんでした、やれやれ。ここから仙崎まではさらに四十分ほどかかり、かなり時間をロスしてしまいました、やれやれ。やはりきっちりと事前に確認しておくべきでしたね、己の詰めの甘さを痛感。それでは「金子みすゞ記念館」に入館しましょう。ここは、みすゞが幼少期を過ごした金子文英堂跡地に建てられた記念館で、遺稿集や着物などの遺品を展示した常設展示室、みすゞの詩の世界を音と光で体感できるみすゞギャラリーなどがあるそうです。おっとその前に、金子みすゞの生涯について、ウィキペディアから抜粋して引用いたしましょう。
 金子みすゞ。山口県大津郡仙崎村出身。郡立大津高等女学校(現・山口県立大津緑洋高等学校)卒業。1926(大正15)年、叔父松蔵の経営する上山文英堂の番頭格の男性・宮本啓喜と結婚し、娘を1人もうける。しかし、夫は女性問題を原因に上山文英堂を追われることとなる。みすゞは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩は収まらず、後ろめたさからかみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じた。さらにみすゞに淋病を感染させるなどした事から1930(昭和5)年2月に正式な離婚が決まった(手続き上は成立していない)。みすゞは、せめて娘を手元で育てたいと要求し、夫も一度は受け入れたが、すぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求。夫への抵抗心から同年3月10日、みすゞは、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺、26年の短い生涯を閉じた。
 こうした薄幸としか言いようのない短い人生の中で、珠玉のような512編の詩を書き綴った詩人です。自由への憧れ、画一化への抗い、命への慈しみ、人間にとってとても大切なことを、大言壮語するのではなく、平易かつ美しい言葉で語りかけてくれます。私が一番好きな詩は、「私と小鳥と鈴と」ですね。
私が両手をひろげても
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、地面を速く走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
 今、日本中の子どもたちが、言われたいと望んでいる言葉は、「学力をつけろ」とか「いじめをするな」とか「空気を読め」とか「儀式は厳粛に」とか「国を愛せ」とか「放射能なんか気にするな」ではなく、「みんなちがって、みんないい」ではないのかな。もう一つ挙げれば、詩人の田村隆一氏の御尊父が言われた、「おまえは、私の子供だから、頭が良いはずがない」という言葉でしょう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-06-29 07:36 | 山陽 | Comments(0)
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