瀬戸内編(5):孤留島(12.3)

 湯玉駅を通り過ぎると、やがて「孤留島(コルトー)」が沖合に見えてきました。男島、女島、竜宮島、石島の四島からなる島々の総称である厚島(あづしま)の別称です。これはパンフレットには載っていないのですが、ちょっとした謂れがあります。名ピアニストのアルフレッド・コルトー(1877-1962)は、晩年の1952(昭和27)年にただ一度、念願の来日を果たして、宇部公演を控えた三日間、川棚観光ホテルに宿泊したそうです。彼はホテルの窓から見えた厚島と響灘の美しい風景にとても魅せられ、川棚村長に「あの無人島に住みたい。ぜひ売ってくれないか」と交渉しました。居合わせた人々や村長は大変驚き、最初は冗談だと思い断りましたが、それが本気であるとわかると、考えた末に「あの島に永久にお住みになるなら無償で差し上げましょう」と答えたとのこと。コルトーは感激して「トレビアン」を連発、「必ずまた戻る」と村長と何度も握手をし、「私の思いはひとりあの島に残るだろう」とつぶやいたそうです。また、集まった人々により、島の名前を「孤留島(コルトー)」と命名することも提案されました。しかしコルトーは帰国後病に倒れ、思いを果たせぬまま、10年後にこの世を去りました。
 コルトーがパリに設立したエコール・ノルマル音楽院には「カワタナにある夢の島」の話が残されていました。コルトーは、「僕の名前の島が日本にあるんだ」と楽しそうに話し、「孤留島」と彫った印鑑を手紙のサインの脇に必ず押していました。また、すっかり体が弱った晩年にも「日本に夢の島がある。もう一度行きたい」と家族に話していたそうです。
 以上、「しものせき観光ホームページ」の受け売りでした。たった一枚しか持っていない、彼がジャック・ティボー、パブロ・カザルスと演奏するベートーヴェンピアノ三重奏曲第7番「大公」を聴きながらキーボードを叩いていますが、コルトーに関するエピソードを二つ紹介します。まずは指揮者・音楽評論家である宇野功芳の言です。
 一般にすぐれた教師は生徒の欠点には目をつぶり、長所だけをのばすという。しかし、コルトーはその上をいく。欠点に目をつぶればそのまま残る。名教師コルトーは欠点を長所に変えてしまうのだそうな。
 もう一つは、『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』(新潮社)で、カザルス自信が語るエピソードです。彼はフランコ政権やナチスへの非協力の姿勢を崩さずプラードに籠っていたのですが、コルトーはナチスの傀儡であるヴィシー政権に協力していました。戦後、コルトーは黄金のトリオを組んでいたカザルスのもとを訪れて謝罪します。感動的なシーンなので、長文ですが引用します。
 プラードへの帰還後、一つのエピソードが突然の驚きと共に暗い戦争中に私をひきもどした。ある朝、私はプラードの家にいたが、だれかが玄関のドアをノックした。私がドアを開けると、アルフレド・コルトーが立っていた。
 彼を見ると私はひどい痛みを感じた。悲しい過去の日々が、まるで昨日起ったかのようによみがえってきた。私たちは立ってお互いに顔をみあわせたまま、一言もいわなかった。私は手招きで彼を部屋へ入れた。
 彼はぽっつりぽっつり話しだしたが目は伏せたままだった。またひどく疲れているようにみえた。初め彼は自分のおかしな行為を弁明しようともそもそと話しだしたので、私は止めさせた。
 すると、せきを切ったように、「ほんとなんだ、パブロ。世間でいっていることは本当なんだ。私はナチと協力したんだ。私は恥ずかしい、ひどく恥ずかしく思っている。君に許しを乞いにやってきたんだ…」 これ以上なにも言えなかった。
 私も同じだった。私は彼に言った。「君が正直にいってくれてうれしいよ。だから君を許すよ。握手しよう」(p.240~2)

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2013-07-01 05:11 | 山陽 | Comments(0)
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