『少年口伝隊一九四五』

 『少年口伝隊一九四五』(井上ひさし 講談社)読了。2008年2月、日本ペンクラブが各国の作家に呼びかけ、世界P.E.N.フォーラム「災害と文化」を東京で開催しました。その催しのプロデューサー役であるノンフィクション作家の吉岡忍氏が、その準備の段階で、当時日本ペンクラブ会長だった井上氏に依頼した戯曲です。朗読劇の体裁をとっており、舞台は原爆投下前後の広島、登場人物は国民学校六年生の英彦、正夫、勝利、そして大学で哲学を教えている段原一丁目の老人、じいたんです。原爆で家族を失った三人の少年は、新聞を発行できなくなった中国新聞社に雇われ、「口伝(くでん)隊」の一員として、ニュースを口頭で人々に伝えます。なおこの「口伝隊」は軍が指揮し、罹災者の応急救済方針、傷病者の臨時収容場所、救援食糧、被害の状況を伝えるとともに、戦意の高揚や維持にもあたったそうです。原爆病に怯えながらも懸命に生きようとする少年たち。しかし、1945年9月17日、室戸台風・伊勢湾台風と並ぶ昭和の三大台風のひとつ枕崎台風が広島を襲い、沿岸部では土石流が発生、死者・行方不明者あわせて二千人以上もの方々が犠牲となりました。寡聞にして知らなかった出来事ですが、これが単なる自然災害ではなく人災としての側面もあったのですね。
あれは山津波だ。
まわりの山々が崩れ落ちている。
…………
戦に夢中になっているうちに、人びとは、まわりの山々の手入れを怠っていた。
その上、山々の土が原子爆弾の熱で焼かれて脆くなってもいた。(p.67)
 なお室戸台風(1934)については以前も書きましたが、軍事優先のため防災システムがお粗末だったことが被害を倍加させてしまいました。思うに、福島の原発事故も、経済成長を優先させたがための結果ではないでしょうか。この国の姿はあまり変わっていないのですね。そしてこの台風によって勝利は行方不明となり、その二日後に正夫は原爆症で死亡。そして英彦は…
 この少年たちに語りかけるじいたんの言葉が胸に突き刺さります。自然に対して謙虚であること、指導者の言葉を常に批判的に考えること、そして生き残った者には犠牲者に対する責務があるということ。
「声の大きな方へ、ふとか号令の方へ、よう考えもせずになびいてしまうくせが、人間にはあっとってじゃ。ふとか号令は、そのときは耳にうつくしゅう聞こえるけえね。このような現実をつくってしもうたんは、そのくせのせいかもわからん。ほいでその号令がちょろちょろかわりよるけえ、難儀なことよのう。…」 (p.56)

「いのちのあるあいだは、正気でいないけん。おまえたちにゃーことあるごとに狂った命令を出すやつらと正面から向き合ういう務めがまだのこっとるんじゃけえ」 (p.70)

「…わしらの体に潜り込んどる原爆病はの、外見はなんともなげ見せかけといて、やれやれ助かったと安心したころを見計らって、いきなりだましがけにおそうてくる代物じゃ。海も山も川もそうよ。いきなりだましがけにあばれてきよるけえ、いっつも正気で向かいあっとらにゃいけん」 (p.71)

「正夫のしたかったことをやりんさい。広島の子どものなりたかったものになりんさいや。こいから先は、のうなった子どものかわりに生きるんじゃ。いまとなりゃーそれしか方途がなあが。…そんじゃけえ、狂ってはいけん。おまいにゃーやらにゃいけんこつがげえに山ほどあるよってな」 (p.71)
 戦争と災害と放射能という三重の苦難の中、懸命に生きぬいた少年たち。それをあたたかく見守ったじいたん。心に残る佳作です。そして間もなく行なわれる参議院選挙。"ふとか号令"や"狂った命令"を出す御仁が勢いを得るような結果にならぬよう、正気を保ち一票を投じたいものです。放射能被害を放置し、災害対策よりも経済成長を優先し、戦争をしたがっている御仁が、喜色満面で当選者の名前に赤い薔薇をつける場面が報道されるような予感もしますが。

 なお衝撃だったのが、次の一文です。
炸裂したのはリトルボーイ。
アメリカ俗語で「おちんちん」。(p.16)
 この名称はコード・ネームなので、ある程度公的に決定され認知されていたものでしょう。そういう意味が本当にあるのか、あるとしたらそれを知っていてつけた名称なのか。即断は控え、心と頭に残し、これから調べていきたいと思います。でももしそれを承知の上でつけた名称だとしたら…慄然とします。
by sabasaba13 | 2013-07-05 06:18 | | Comments(0)
<< 西本智実と外山啓介 アジサイ便り >>