瀬戸内編(22):塩飽本島(12.3)

 翌朝、午前六時前に目が覚めてしまいました。カーテンをあけて外を見ると、そろそろ薄明をむかえています。はた。そうだ、朝焼けを見にいこう。低血圧の山ノ神はお留守番、さっそく歯を磨き顔を洗い着替えて海岸へと歩いていくと、もう太陽は来臨していました。しかし空を真っ赤に染め、光の筋を海に伸ばしながら陽がのぼっていく素晴らしい光景を見ることができました。♪大きな空に梯子をかけて、真っ赤な太陽両手に掴もう。誇りの一つを胸にかかげて、怖れ知らないこれが若さだ。そうとも、こ、れ、が、青春だ♪と口ずさめば、気分はもう布施明。ついでに朝の散歩と洒落込み、港へと歩いていくと観光案内所があり自転車を借りられることが判明。うんこれで笠島まで行くことができるぞ、よしよし。
c0051620_6164889.jpg

 港の近くには、「咸臨丸渡米150周年記念 顕彰碑」がありました。碑文を読むと、開国の後、本格的な海軍設立を期して海軍伝習所を開設した江戸幕府は、幕府の御用船方を勤め操船技術に長けた塩飽衆に水夫の徴募をしました。幕府への報恩のため数十人の塩飽衆が駆けつけ、咸臨丸乗組水夫50人のうち35人がこの島出身だったそうです。太平洋横断という快挙を支えた塩飽衆のことは記憶にとどめましょう。♪嵐のなかも君のためなら、七つの海を泳いでいこう(以下略)♪ なお宿に戻る途中で、「咸臨丸水夫 松尾延次郎 生家跡」というプレートのあるお宅を見かけました。
c0051620_6171581.jpg

 荷物をまとめて「塩飽家」へと行って朝食をいただき、ご主人に丁重にお礼を言って宿代を支払いました。十数分歩いて港まで行き観光案内所で荷物を預け、地図をいただき自転車を借り受けました。さあ出発です。まずは木烏(こがらす)神社へ、社殿の前には千歳座という芝居小屋があります。一見、大きな納屋に見えますが、これは幕府の禁制を免れるためだそうです。
c0051620_6174239.jpg

 その先には旧郵便局がありましたが、民営化の影響で廃されたのでしょうか。そして塩飽勤番所を撮影。江戸時代、塩飽諸島は自治が許されており、その中から選ばれた年寄がこの勤番所において政務(島務)を行ないました。建物は1798(寛政10)年に建てられたもので、現在は資料館として公開されています。織田信長や徳川家康等の朱印状、咸臨丸の模型や乗組員の遺品などが展示されているそうです。
c0051620_61875.jpg

 そして「笠島・甲生(こうしょう)地区の埋め墓」を拝見。遺体を埋める「埋め墓」と、死者を祀るための「詣で墓」を分ける、いわゆる両墓制ですね。私もはじめて見ました。小さな自然石がランダムに配置され、得も言われぬ神秘的な雰囲気でした。「自治会内が高齢者の人が多くなり草取り掃除もままならなくなって来ましたので、…年間五千円程度を…納入するようお願い致します」という看板がもののあわれをさそいます。
c0051620_6183039.jpg


 本日の三枚です。
c0051620_61987.jpg

c0051620_6192939.jpg

c0051620_619554.jpg

by sabasaba13 | 2013-07-23 06:20 | 山陽 | Comments(0)
<< 瀬戸内編(23):笠島(12.3) 2013年参議院選挙 >>