瀬戸内編(24):倉敷(12.3)

 まずは駅前にある観光案内所に行って情報を収集、倉敷では「ぶっかけうどん」というご当地B級グルメがあるそうなので昼食はそれにしましょう。地図をもらい、紹介してもらった店で自転車を借り受けました。まずは駅の近くにある「ふるいち」で、倉敷名物ぶっかけうどんを所望。茹で上げたうどんに、様々な具材や薬味を乗せ、その上に少量のだし汁をかけたものですが、なかなか美味でした。
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 そしてすぐ近くにある日本基督教団倉敷教会へ。さまざまな表情をもつ窓や壁、そしてリズミカルに並ぶ屋根が印象的な建築ですが、なんと設計は西村伊作でした。スーパーニッポニカ(小学館)から引用しましょう。
 西村伊作(1884―1963) 文化学院の創設者、校長。和歌山県新宮に生まれる。1921年(大正10)わが子の教育のために文化学院を設立し、与謝野晶子、石井柏亭らの協力を得て、芸術による自由主義的な教育を行う。43年(昭和18)不敬罪容疑で逮捕され、文化学院も強制閉鎖措置を受ける(戦後再開)。
 つけくわえるに、大逆事件において無実の罪で日本政府に殺された大石誠之助の甥で、幼くして両親をなくした彼は誠之助に育てられ、その生き方に深い影響を受けました。新宮にある西村伊作記念館を以前に訪れたことがあります。教会のホームページによると、彼は独学で建築を学び、1921年(大正10)、文化学院開校と同じ年に神戸市御影に西村建築事務所を設立。「教会堂、学校、ホテル、商店、事務所、劇場などの、実用と美との両方を兼ね備ふ可きもの、人間の社会的容器を美化する仕事を望みます」(雑誌『明星』に出した広告文の一部)というポリシーのもとに設計に尽力したとのことです。伊作は1922年(大正11)年、倉敷教会の設計事務を3万2千円で請負い、赤字になった経費は全部自分で負担したそうです。
 されそれでは倉敷観光の中心、美観地区へと向かいましょう。ここ倉敷は江戸時代には天領で、備中の米を積み出す河港として栄えました。そのために掘られた運河や蔵屋敷のある一帯が美観地区です。自転車をこぐこと十分ほどで到着。白壁、黒い貼り瓦、運河、石橋、柳の並木など、絵になる…というよりは人為的にむりやりピクチャレスクにしたようで、そのわざとらしさが少々鼻につく光景です。ま、堅いことは抜きにして楽しみましょう。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2013-07-25 06:16 | 山陽 | Comments(0)
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