瀬戸内編(25):倉敷(12.3)

 何はなくとも江戸紫、ではなくて大原美術館へ。倉敷を基盤に幅広く活躍した事業家・大原孫三郎が、前年死去した画家・児島虎次郎を記念して1930(昭和5)年に設立した、日本最初の西洋美術中心の私立美術館です。孫三郎にうながされて渡欧した虎次郎は、制作に励むかたわら、孫三郎の同意のもとに、日本人としての感覚を総動員してヨーロッパの美術作品を選び取るという作業に熱中します。こうしてエル・グレコ、ゴーギャン、モネ、マティスなどを中心とする見事なコレクションができたわけですね。
 この大原孫三郎という人物に対して、私は畏敬の念を抱いております。長文ですが、『日本の百年5 成金天下』(今井清一 ちくま学芸文庫)から引用します。
 資本家が人間として誠実に生きる道は何か、ということを真剣に探求した人物に、もう一人、大原孫三郎がいる。彼は父の大原孝四郎が創立した倉敷紡績を継ぎ、これを倉敷レイヨンに発展させたが、かたわら社会事業に熱心であった。十八歳のとき二宮尊徳の『報徳記』をくり返し読み、事業の利益の何割かは社会へ還元すべきであって、私腹をこやしてはならない、という訓えに心をうたれた。そして二十歳のときにキリスト教の熱烈な感化を受けた。彼はまず、彼にキリスト教を教えた石井十次の経営する岡山孤児院を援助した。
「岡山孤児院は、一時は千二百名の孤児を収容したこともあるが、孫三郎は日記に『孤児院のために働くは孤児院のために働くにあらず。石井のためにはもちろんあらず。また石井の事業にあらず、世界の事業である。神のための事業である』と記している。
 孫三郎が岡山孤児院に喜捨した金は莫大であるが、石井の明治四十一年の日記には『大原兄は満二年間、ほとんど毎月のように孤児院の会計の欠損せるにたいし、未だ一言の小言も言わずに助力せらる。毎月、頼むものも頼むもの、応ずるものも応ずるもの』とある。
 大正三年、石井が死去すると、孫三郎は孤児院長になった。彼の孤児への助力は、実業家の慈善のワクをはるかに越えていたのである。」
 大原孫三郎は、この他郷里の倉敷市に、病院、美術館、民芸館、考古館、天文台、農業研究所などをつくって一般に開放したが、中でも、大正八年に設立された大原社会問題研究所は、資本家の社会事業の常識を破ったものであった。
「大原社会問題研究所は、大正、昭和初期の社会科学のメッカであった。所長の高野岩三郎の下に、櫛田民蔵、久留間鮫造、森戸辰男、大内兵衛、細川嘉六、笠信太郎などの学者が、ここから輩出した。この研究所がわが国の社会科学や労働運動に投げかけた影響は測り知れないものがある。
 それだけに大原社研はアカの巣窟とよばれ、孫三郎はアカの飼育者と非難されたことがしばしばであった。だが彼は高野所長の識見と人格を信頼して、これに関して一言の文句も言わなかった。彼は学者の尊重すべきこと、学問研究の自由は冒してはならないことを、その当時の誰よりもよく知っていた。」(青地晨 「大原三代」、『中央公論』1961.4)
 茂木惣兵衛や大原孫三郎のような生き方は、資本家としては例外であった。しかし、こうした例外は、明治の資本家にはないものであった。富の収奪や蓄積だけではなく、富の分配の問題を、心ある人びとは真剣に考える時期に達していた。(p.53~5)
 なお柳宗悦の日本民藝館設立にも助力したことも付言しておきましょう。富の分配についても真剣に考える心ある資本家、こうした例外は平成の資本家にもないものですね。"社会は、いかに生産するかをまなんだが、生産されたものを、いかに分配すべきかをまなばなかった"、 ネルーの言葉です。
 それでは見学いたしましょう。先述の西洋画コレクションが有名ですが、青木繁、岸田劉生、熊谷守一、関根正二、藤島武二、松本竣介、萬鉄五郎など近代日本画の名品も粒ぞろいです。また河井寛次郎、富本憲吉、濱田庄司、バーナード・リーチなどの馥郁たる陶芸の名品もお見逃しなく。私の大好きなイサム・ノグチの作品「山つくり」に出会えたのも僥倖でした。
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 というわけで、その充実したコレクションのおかげですっかり時間をとられてしまいました。でも、わが青春に悔いなし、あとは古い街並みが残る本町通りをさくさくっと見て、帰郷することにしましょう。
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 鶴形山にある阿智神社からの眺めがよいということなので、長い石段をのぼりましたが、木立にさえぎられてあまり見通しがききません。残念。
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 倉敷駅へと戻って自転車を返却し、山陽本線で岡山へ。ここからバスで岡山空港へ、車窓から「交通安全 母の会」と記された交通安全人形を撮影。空港のレストランでは、ままかり酢漬け、下津井産イイダコ唐揚げ、ホルモンうどんと、ご当地名物三連発をたいらげました。
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 そして搭乗ですが、最新鋭機のボーイング787に乗ることができました。航続距離の長さが売りということですが、われわれ乗客が感知できるのはやはり内装です。窓が大きくなったことと、ボタンで明暗を調整できる電子カーテンが印象的でした。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2013-07-26 06:18 | 山陽 | Comments(0)
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