『この国はどこで間違えたのか』

 『この国はどこで間違えたのか 沖縄と福島から見えた日本』(徳間書店出版局編 徳間書店)読了。本屋さんで背表紙を見て、目次をななめ読みして、即購入。米軍基地というあまりにも過重な負担を押しつけられ、あろうことかオスプレイという危険な軍用機が配備されようとしている沖縄。原発事故収束の目途も立たず、被曝した子どもたちへのケアもまともになされていない福島。そう、この二つの地域から"日本"という国家を見ると、そのいかがわしさが浮き彫りとなります。本書は、沖縄と福島を通して見えてくる日本という国の問題点を、気鋭の研究者たちが縦横に語るといインタビュー集です。
まずインタビューを担当した渡辺豪氏(沖縄タイムス)が、「まえがき」の中で次のように述べられています。 
今、あらためて感じるのは、米軍基地も原発も容易に突き崩せない日本人の心性に連なる課題である、ということだ。価値判断の基準は常に「日米基軸路線」と「経済最優先」。これが一体不可分の神話となって日本人に宿る。そこに「想像力の欠如」「事なかれ主義」「なし崩し」といった性向が相まって、地震列島に54基の原発が連なり、沖縄の基地は温存されてきた。(p.16~7)
 原発の問題点に警鐘を鳴らす研究者はいたし、沖縄の基地問題を抉ったジャーナリストもいたのに、なぜそうした「告発」に世論が反応しなかった、あるいは反応が鈍かったのはなぜか。氏はそこに着目する必要があると述べられています。そして論者とタイトルは次の通りです。内田樹「どこまでも属国根性」、小熊英二「「ムラ」の瓦解は早い」、開沼博「物語の中に答えはない」、佐藤栄佐久「自治踏みにじる原発」、佐野眞一「神話にすがる日本人」、清水修二「カネの切れ目は好機」、広井良典「「なつかしい」末来を求めて」、辺見庸「徹底的な破滅から光」。
 いずれの語りも興味深いものでしたが、鉄槌を振り下ろされたような衝撃を受けたのが、開沼博氏の指摘です。 
しかし、その植民地の時代が終わった中に残る「植民地性」を見ていこうとすることは非常に重要な視点です。日本は1945年まで対外的な進出によって国内ではまかなえない資源や経済的な格差を利用しながら近代化を進めようとしました。独立した「くに」であった琉球が、日本に取り込まれて「琉球藩」や「沖縄県」とされたことも、この大きな動きの中の一つと捉えられるでしょう。しかし、45年以降、対外的な進出ができなくなったことによって対内的に、つまり国内の地域に向けて、言わば第2の植民地化を進めてきたというのが私の見方です。(p.119~20)
 近代日本が、沖縄と北海道を内国植民地としたことについては多少知っておりましたが、敗戦後においても地方を内国植民地としてきたという視点には気づきませんでした。不覚。でもそういう視点から見ると、通り一辺倒の戦後史を大きく見直すことができそうですね。ひさびさに知的興奮を味わいました。こうなれば、開沼氏の著作、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか」(青土社)を是が非でも読まねばなりますまい。
by sabasaba13 | 2013-09-14 06:17 | | Comments(0)
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