『日本人の「戦争」』

 『日本人の「戦争」 古典と死生の間で』(河原宏 講談社学術文庫)読了。思想史学者の河原宏氏が、日本人にとって「あの戦争」とはなんだったのかを、生を中断された同年輩の死者たちにかわって切実に問うた力作です。
 まず著者は、政治の原点は、"貧富の格差を可能な限り解消すること。この格差を維持している社会的制度を極力改革するために政治的リーダーシップを確立すること、世論が改革を支持することに尽きる"と提示されています。しかし、戦前の日本においては、貧富の格差の解消と社会的制度の改革をめざす政治的リーダーシップは確立されませんでした。
 こうして大日本帝国とは、大部分の人にとっては空虚な「抽象」となっていった。ヴォルテール流にいえば、なにが「大」だ、なにが「日本」だ、なにが「帝国」だ、ということになる。なぜなら、その実態は富める者がますます富み、貧しい者はますます貧しくなる趨勢を放置する国、粗暴な軍人と貪欲な資本家、汚職まみれの政治家と奸佞な官僚が「神」なる天皇を頂いて支配する国だった。(p.31)
 この国内の矛盾を解決せずに、植民地拡大という形へと転化していったのが日本の軍国主義であったというのが著者の主張です。農村の貧窮が拡大するほど、軍国主義の過激化も増大していき、軍人の政治介入もこれに伴うということですね。この貧富の格差を是正しないという選択が、政策の幅をいかにせばめたことか。例えば、中国から撤退をすれば、日米開戦はさけられたかもしれませんが、軍部・政府にとってそれは不可能でした。多くの戦死者を出しながら、なんら得るところなく、敗北同然の姿で引き揚げるのは、軍内部からも国民からも「護国の英霊」になんと申し訳するのかという声があがるのは避けられません。同時にそれは南京事件をはじめ、それまで軍がひた隠しにしてきた戦場での日本兵の暴行、残虐行為を明るみに出すことになってしまい、それは陸軍の分裂、崩壊につながります。さらに日中戦争下、日本軍の占領地には新しい利権を求めて多くの企業が進出していました。撤兵はそれらの利権を反故にすることを意味しており、財界がすんなりとこの損失を了承するとは到底思えませんでした。そして何よりも、過酷な戦場で多くの戦友を失い、自分自身も心身をすりへらして帰国した帰還兵が、国内で見るものはなんだったのか。
 政治家は依然として権力争いと利権争奪にうきみをやつしている。国民の間でも富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなって、貧富の格差は増大している。都市は表面上いよいよ享楽色を強めながら、大部分の兵士の出身地である農村は疲弊、困窮のどん底にある。その国内へ、武器を手にし、気分もすさんだ戦場帰りの兵隊が何万、何十万と戻ってきたら、どのような事が起こるかは想像に難くない。一人一人の兵士が、一体自分はこの国の何を護ろうとして戦ったのかを自問したことだろう。二十世紀にはロシア革命も、ドイツ革命も、十九世紀流の市民革命ではなく、敗戦革命だった。(p.135~7)
 見逃せないのが、粗暴な軍人と貪欲な資本家、汚職まみれの政治家と奸佞な官僚が「神」なる天皇を頂いて支配する仕組みを支えていたのが、自主的決意と判断を放棄して彼らに委ねた国民だったのですね。彼らが死守しようとした「国体」とはこの仕組みであり、彼らが恐れた「革命」とは、この仕組みが壊れることだったという指摘は鋭利ですね。共産党があれほど壊滅的な状態に追い込まれているのに、何故彼らは革命を恐れるのか、不思議に思っていましたがそういうことだったんだ。そしてこの「国体」を壊す絶好の機会こそが本土決戦であったと、氏は大胆に述べられています。莫大な人命の損失と荒廃とひきかえに、個人が自己の判断に基づいて自主的に戦い、自主的に戦うのを止める可能性があったのではないか。しかし天皇の命令によって戦いは終わり、ここで「国体」は護持され「革命」は回避されました。
 さらに著者は、民衆の戦争責任について言及されています。(1)戦争は儲かるもの、割りの好いビジネスという感覚。(2)同調、さらには強い者への過剰同調。(3)弱者へのいじめ感覚。(1)についてだけ触れておきましょう。日本資本主義自体が、あいつぐ戦争のたびに肥大化し、利権を拡張していったことは事実です。そして日清・日露・第一次大戦と連続する戦勝に、全体として日本人の経済感覚には戦争幻想とでもいうべきものがつきまとっていたこと。多くの人々が戦争を支持した背景には、その利益のおこぼれにあずかろうという心性があったのでしょう。実際にはほとんどの利益は大企業のものとなったのですが。氏は、アジア人に対する"優越感のみが、民衆の受益した戦時利得だったかもしれない"と指摘されています。そして戦後も「戦争は割りの好いビジネス」と思う心性は変わっていないのではないか。例えば、戦後経済再建のきっかけを与えた朝鮮戦争を、一種の天佑として歓迎した向きがあり、また人々がその恩恵をためらうことなく享受してきたこと。"その際の受益期待の心の軌跡は、自国の戦争か他国のかという違いだけで、戦前の人々が抱いたそれとあまり変わっていなかったのではないか"(p.177)という指摘は銘肝すべきでしょう。さらに1958年5月、A級戦犯容疑者であった岸信介内閣の下で行なわれた総選挙で、彼の率いる自由民主党が定数467議席中287の絶対多数を獲得したこと。この総選挙の時点はちょうどそれ以前の神武景気と、この直後あたりから始まる岩戸景気と呼ばれる好況とのはざまの不況の時期でした。岸内閣が軍需景気を盛りあげてくれるかもしれないと、民衆が期待したのではないかというのが著者の分析です。この期待が、岸の戦争責任を問う声をおし流したのですね。現安倍伍長政権への支持には、こうした「戦争気構えによる景気回復」への期待があるのかもしれません。

 そして最も考えさせられたのが、「飽食の帝国主義」と「空腹の帝国主義」という立論です。本書の核心にあたると思いますので、くわしく紹介します。「飽食の帝国主義」とはイギリス・アメリカを典型とする、肉体労働は移入労働者に負わせ、金利生活者が支配する帝国主義国家のことです。これに対して「空腹の帝国主義」とは、多くの飢えた農民を抱え、土地獲得に衝き動かされる帝国主義国家のことで、戦前の日本やドイツが該当します。しかし日本には、イギリス・アメリカと提携して「飽食の帝国主義」をめざし、平和裡に世界支配の一端に参画しようとする勢力がありました。政党政治家や官僚、財界、いわゆる「英米派」です。米騒動(1918)および三・一運動(1919)に衝撃を受けた彼らは、類似の騒動を未然に防ぎ、労働者の賃金を抑え、さらに植民地・朝鮮の農民を懐柔するために、植民地米の移入増大を行ないます。しかしこの政策は、昭和恐慌下、驚異的な米価の下落に苦しむ農民に打撃を与え、特に東北の農村は惨状を呈します。やがて右翼、軍部をまきこみ、土地を求めて大陸進出を叫ぶ農本ファシズムを生みだすことになりました。テロ・クーデターで「英米派」=「飽食の帝国主義」を無力化し、日本は貧者必勝的な論理をふりかざして「空腹の帝国主義」、向こう見ずな植民地侵略戦争へと突入していきました。
 そして戦後、「空腹の帝国主義」に妨害されて挫折した「飽食の帝国主義」は復活。冷戦終結後は、カール・カウツキー言うところの「超帝国主義」、軍備の拡大と戦争によって疲弊した帝国主義諸国が負担の軽減を求めて相互に結んだ「神聖同盟」の一員として参画していくわけですね。万国の資本家よ、団結せよ! 1%が99%を支配する世界…
 最後に氏は、こう述べられています。
 この観点からすれば、今後の帝国主義論はもっと人間の「原理」的存在にまつわる諸点-金銭・暴力・技術-への考察によって補わなければならない。今や、帝国主義が脅かしているのは特定の地域・国家・階級に限定できない。人間存在そのものでもある。帝国主義にたいする人間の原理的対立とは、要約すれば"人はパン(金銭)のみにて生くるものにあらず"という命題を肯定するか、否定するかの選択となる。人間性の次元での帝国主義とは、その否定論、つまり人は「パン(金銭)」を求めて生きているのだという人間観なのである。高度に発達した暴力と技術手段が、この人間観を補強している。(p.192)

by sabasaba13 | 2013-12-06 06:18 | | Comments(0)
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