イタリア編(44):アッシジへ(12.8)

 朝目覚めて窓を開けると、朝日を浴びた雄大な光景が目に飛び込んできました。何度見ても素晴らしい眺望です。テレビの大雑把な天気予報を見ると、今日も快晴。
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 朝食を食べに一階のテラスに行くと、パウロさんがパンとコーヒーを持ってきてくれました。Buongiorno! 後は市販のヨーグルトだけの質素な朝食ですが、たいへん美味しくいただきました。そりゃああんなに広大な風景を見ながら清冽な空気を吸った後だもの、空腹だけでなく爽快な気分も最上のソースです。
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 そしてフロントに寄って女性スタッフの方に忘れ物の件で事情を話したところ、今、電話して確認してあげようと言ってくれました。忝いpart2。ホテル・アルバーニの電話番号を教えると、すぐに電話をしてくれ流暢なイタリア語で(当たり前だ)確認をとってくれました。電話を切ると申し訳なさそうな表情で、"そのような忘れ物はなかったとのこと"と話してくれました。いやいやここまでしてもらっただけでも十分、タニタの時計も成仏するでしょう。丁重にお礼を言って部屋に戻りました。
 それではアッシジへと出発しましょう。列車でアッシジに行くという方法もあるのですが、ホテルからペルージャ駅への移動、およびアッシジ駅から町までのバスによる移動を考えると、ターミナルからバスで直行した方が手間隙を省けそうです。昨日iでいただいた時刻表で確認し、9:30発のバスに乗ることにしました。昨日場所をチェックしておいたバス・ターミナルに行き、窓口で往復切符を購入。そして始発のバスに乗り込み、いよいよアッシジへと向かいます。
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 そう、周知の通り、聖フランチェスコ生誕の地にして、サン・フランチェスコ聖堂のある町です。なお山ノ神は、「あっし寺」というお寺さんに行くのかと思っていたそうな。すみません、"周知の通り"は削除します。それでは気を取り直して、聖フランチェスコについて、スーパーニッポニカ(小学館)から抜粋して引用しましょう。
 フランチェスコ(アッシジの) Francesco d'Assisi (1181/82-1226) フランシスコ会の創立者。聖人。アッシジの富裕な繊維商ピエトロ・ベルナルドーネとその妻ピーカの息子。20歳ころまで父の下で商売に従事したが、遊び好きで友人間に人気があった。1202年のアッシジとペルージア間の紛争に出征し、捕虜となった。獄中で病気にかかり、釈放後の療養中に、これまでの生活に疑問を抱き、不安のなかに祈りと貧者への奉仕に専念した。ローマに巡礼を試みた際、聖ペテロの墓所に路銀を財布ごと献金し、乞食となって施与にすがって生活した。この体験で福音中のキリストの貧しさを体験した彼は、それ以降、世俗の事物への執着を断ち、無一物となってキリストの生き方を己の生活の手本とし、奉仕と托鉢の生活を始めた。この生き方に共鳴した若者が集まってくると、ローマに赴き、教皇インノケンティウス3世から修道会としての認可と説教の許可を受けた(1209ころ)。謙遜に徹した彼は、己を「小さき兄弟」とよび、粗衣にはだしで兄弟たちといっしょに放浪のなかに、キリストの教えを人々に説いて各地を巡った。
 彼は自然のあらゆる存在を兄弟姉妹とよび(『太陽の賛歌』)、小鳥や魚に説教を試み、狼を回心させるなどして、世人に神の慈愛を示した。1224年アルベルナ山上で、キリストから五つの聖痕を受け、その2年後の10月3日、アッシジのポルチウンクラにおいて帰天した。墓所は同地の大聖堂にある。
 なお聖堂にあるジョットの『聖フランチェスコの生涯』を見るのも楽しみにしています。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2014-01-07 09:51 | 海外 | Comments(0)
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