『福島からあなたへ』

 『福島からあなたへ』(武藤類子 大月書店)読了。先日読み終えた『永続敗戦論 戦後日本の核心』(白井聡 太田出版)の中に、次のような一文がありました。
 ここには二つの問題が露呈している。すなわち、第一にはこの作業に従事する人々の危険や健康被害を可能な限り最小限化し、しかるべき仕方で報いる体制がつくられていないという人道的な問題。そして第二に、この事故を本当の意味で収束させる意思を政府は実際持っているのか、という問題である。誰でもわかることだが、事故の本来の意味での収束は、現在の日本国家が第一義的に優先し、全力で取り組まなければならないプロジェクトである。したがって、仮に一人ひとりの政治家や関係する高級および下級官吏に、その意思の有無を尋ねたならば、全員が「持っている」と答えるであろう。しかしながら、関係者全員が持っている意思が、現実に組織総体の意思となる必然性はない。現に約七〇年前、この国は、「やれば必ず負ける(したがって、やるわけにはいかない)」と各界の権力者・識者のほぼ全員が理性の上では承知していながら、太平洋戦争を開戦した。つまり問題は、この事故が処理されうるのに適切な体制を構築する意思を現在の政府という組織が実際に体現できているのか、ということであって、関係者が主観的意識の次元でどう考えていようが、それは意義を持たない。(p.9~10)
 そう、原発事故の収束こそが、日本政府が最優先し、全力で取り組まねばならない課題です。しかしどこから見ても、安倍伍長政権にその意志はないようです。汚染水対策への甘い見通し、原発再稼働に前向きな姿勢、日本市場をアメリカ企業に熨斗をつけて献上するTPPへの加盟、消費税増税に法人税減税、そして東京オリンピック誘致への全面的協力。原発事故や東日本大震災による塗炭の苦しみを耐えている方々を見殺しにして、日米企業の利益を最優先するその姿勢には、おぞましさすら感じるのは私だけでしょうか。
 福島の現状については、大手メディアも見て見ぬふりをしていますが、今、何が起こっているのか。私の知っている限りでも、以下のような恐ろしくも深刻な事態が起こっています。『DAYS JAPAN』(2013.7)によると、福島県健康管理調査による検診の結果、18歳以下の17万4千人のうち甲状腺癌「確定」が12人、「疑い」が15人だったそうです。100万人に一人といわれる子どもの甲状腺癌が、すでに155.2倍になっているのですね。毎日新聞(2013.6.29)の報道では、海から6メートルの井戸でも高濃度汚染水が観測されたそうです。朝日新聞(2013.6.29)によると、政府が福島県田村市の除染作業完了後に開いた住民説明会で、空気中の放射線量を毎時0.23マイクロシーベルト以下にする目標を達成できなくても、一人ひとりが線量計を身につけ、実際に浴びる「個人線量」が年1ミリを超えないように自己管理しながら自宅で暮らす提案をしていたことがわかりました。とどめは朝日新聞(2013.10.27)の記事です。東京電力が除染事業の大半の項目について費用の支払いに応じない考えを2月時点で国に明確に伝えていたこと、そして国はこれを公表せず、支払い拒否を黙認していることが判明しました。もう言葉もありません。安倍伍長をはじめとする関係諸氏にあえて投げつける言葉があるとすれば、「人殺し/人でなし/嘘つき」でしょうか。
 福島を忘却しながら、大企業を中心とした経済成長に邁進しようとしている日本。今だからこそ、その叫びに真摯に耳を傾けるべきだと思います。本書は、「さようなら原発5万人集会」(2011.9.19)における、武藤類子氏のスピーチを収録したものです。贅言はやめましょう。その一部を紹介します。
 そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子どもたち、若い人たちに、心から謝りたいと思います。ほんとうにごめんなさい。

 みなさん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を望む浜通り。桃・梨・りんごと、くだものの宝庫、中通り。猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。そのむこうを深い山々がふちどっています。山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。3・11原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。大混乱のなかで、私たちにはさまざまなことが起こりました。すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。毎日、毎日、否応なくせまられる決断。逃げる、逃げない。食べる、食べない。洗濯物を外に干す、干さない。子どもにマスクをさせる、させない。畑を耕す、耕さない。何かにもの申す、黙る。さまざまな苦渋の選択がありました。

 そして、いま。半年という月日のなかで、次第に鮮明になってきたことは、真実は隠されているのだ。国は国民を守らないのだ。事故はいまだに終わらないのだ。福島県民は核の実験材料にされるのだ。ばくだいな放射性のゴミは残るのだ。大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ。私たちは棄てられたのだ。私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。
 福島県民はいま、怒りと悲しみのなかから静かに立ち上がっています。子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが、自分たちの未来を奪われまいと、若い世代が、大量の被曝にさらされながら事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、労働者たちが、土を汚された絶望のなかから、農民たちが、放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障がいをもった人々が、一人ひとりの市民が、国と東電の責任を問いつづけています。そして、原発はもういらないと声をあげています。私たちはいま、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。

 もうひとつ、お話したいことがあります。それは私たち自身の生き方、暮らし方です。私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っていることに思いをはせなければなりません。原発はそのむこうにあるのです。人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の末来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。私たちはこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいのです。ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。どうしたら原発と対極にある新しい世界をつくっていけるのか。だれにも明瞭な答えはわかりません。できうることは、だれかが決めたことに従うのではなく、一人ひとりが、ほんとうにほんとうに本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。一人ひとりにその力があることを思い出しましょう。私たちはだれでも変わる勇気をもっています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。

 そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がり、つながりつづけていくことが私たちの力です。たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。いまつないでいる、その手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。私たち一人ひとりの背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生きのびていきましょう。

by sabasaba13 | 2014-02-18 06:17 | | Comments(0)
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