「競争社会をこえて」

 「競争社会をこえて ノーコンテストの時代」(アルフィ・コーン 法政大学出版会)読了。「行き過ぎはよくないが、競争は望ましい」というのが、一般的な考えだと思います。これに対してアメリカの評論家、アルフィ・コーン氏が、競争は人間にとって害悪であると容赦のない議論を展開したのが本書です。なお背表紙の書名が「競走社会」と誤植されていますので、注意してください。
 著者は競争を「ある人の成功が他の人の失敗によって成り立つようなシステム」と定義した上で、そのデメリットを様々なデータや例証をあげながら執拗に主張していきます。「他の人々が敗北するのをこの目で見ようという構造的な動機が、人間関係に楔をうちこみ、敵意を生じさせずにはおかない。」「競争的なやり方は、ほとんどいつも二倍の労力を必要とする。なぜなら、自分ひとりで課題に取り組むには、すでに誰か別の人がでくわして、すでに克服してしまったような問題に時間と能力とを費やさなければならないからである。」 そして当然の如く個人に不安やストレスがたまっていきます。こうした状況の中で生き残るには失敗を避けるようにするのが精一杯です。そして責任逃れ、ごまかし、隠蔽といった行為が横行していくのでしょう。
 しかし競争をしないと、人間は努力しなくなるという思い込みを持っている人もいます。著者はこう述べます。「構造的な協力は、相手を助けることが、同時に自分をも助けることになるというように、状況設定を行ってくれる。今ではもう相手と運命をともにしているのである。協力というのは、賢明で、成功する可能性がとても高い戦略であり、実践的な選択である。」「われわれ人間は、楽しんでやるものこそもっともうまくやれるものなのである。」 ううむ、後者の意見には首肯しますね。「楽しんでやらなきゃなにごとも身につきはしません。No profit grows where is no pleasure ta'en.」というシェークスピアの科白を思い出します。(『じゃじゃ馬ならし』)
 そして重要なのは、こうした競争的な状況により利益を得ているのは誰なのかという問題ですね。
 何の規制ももうけない資本主義こそ「本来的なもの」であるといった考え方や、あるものが現在の姿をとっているのはもともともちあわせていた構造に根ざしているからだといった考え方をすることによって、誰が利益をうるのだろうか。それは、あきらかに現状が維持されているおかげで有利な立場にいる人々である。
 同感。われわれがお互いの足をひっぱいあっているのを、安楽椅子に座ってロマネ・コンティを片手にそれを眺めている人々です。もう競争なんて、みんなでやめませんか。いっせーのせっ。
by sabasaba13 | 2005-06-30 06:07 | | Comments(0)
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