太史と董狐

 気鋭の歴史学者、本郷和人氏の「武士から王へ」(ちくま新書682)に次のような印象的な挿話がありました。
 古代中国の春秋時代、斉国。荘公は好色で、大臣の崔杼(さいちょ)の妻と密通を重ねていた。それを知った崔杼は部下に荘公を殺させ、政権を握った。…斉国の太史(歴史官)は堂々と「崔杼、荘公を殺す」と史書(竹簡)に記述する。激怒した崔杼は太史を殺した。すると彼の弟が朝堂に出てきて、同じことを書いた。再び崔杼はこれを殺す。そのまた弟が出てきて、同じことを書いた。崔杼は恐ろしくなり、文章の削除をあきらめた。
 晋国の名宰相趙盾(ちょうとん)は暗君霊公と佞臣屠岸賈(とがんこ)にたびたび暗殺されかけた。趙盾の弟の趙穿(ちょうせん)はたまりかねて霊公を暗殺したが、非難する者は誰もなかった。急を聞いて駆けつけた趙盾は霊公の葬儀を執り行い新しい国公を立てたが、その趙盾を太史(歴史官)の董狐(とうこ)が激しく糾弾する。竹簡に「趙盾、その君を弑する」と大書し、廟堂に掲げた。趙盾は「主君を殺したのは弟の穿であって私ではない」と抗議し、訂正を求めた。ところが董狐は一歩も退かない。「あなたは宰相であり、事件のときに国内にいた。しかも犯人である弟を処罰していない。よって霊公を弑したのはあなたに他ならない」。趙盾はやむなく引き下がり、記述はそのままになった。
この二つの説話は、南宋の遺臣文天祥の「正気の歌」において「斉にありては太史の簡、晋にありては董狐の筆」の名句となった。
 いや、ま、べつに、アメリカの走狗となってはしゃいでいる暗君や佞臣の方々、および彼らを支持する方々は、この話を知っているのかなと思っただけです。そして日本の歴史学者には、太史と董狐のような気概をふるっていただきたいと願います。
by sabasaba13 | 2014-03-03 06:15 | 鶏肋 | Comments(2)
Commented by sscc-ws1207 at 2014-03-12 07:47
「斉にありては…いいお話をうかがいました.
南京事件はなかったとか進んで従軍慰安婦になったとか
ネットでは怪しげな言説がまかり通っている現状
まともな歴史学者ががんばって声を挙げてほしいですね。
私はもと小学校の教員だったのですが、日本の歴史について
シビアに無謀な戦争をやったこと、加害の事実を受け止めなく
てはならないこと…をもっとしっかり子ども達に伝えなくてはなら
なかったという悔いを持っています。
Commented by sabasaba13 at 2014-03-12 21:25
 こんばんは、sscc-ws1207さん。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」というリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーの言葉を、今あらためて銘肝したいと思います。
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