京都錦秋編(1):東京駅(12.12)

 ミケランジェリ奏でるドビュッシーの『子供の領分』のCDを聴きながら、ふと山ノ神は第1曲の名を覚えたかなと確かめたくなりました。「ねえねえ、この曲の名は?」「"パッヘルベル・カノン・パルナッソス博士"でしょ」 前半は壊滅、後半は惜しい。正解は"グラドゥス・アド・パルナッスム博士"でした。部屋に飾ってあるクレーのポスター"パルナッソス山へ"と混乱したのでしょうか。こんなお茶目な彼女と旅をすると無上の喜びと些細な苦悩を味わえるのですが、高齢の、もといっ、恒例の京都錦秋旅行は仕事の関係で同行できませんでした。よって2012年12月初旬、一人で晩秋の京都二泊三日の旅を楽しんでまいりました。今回のコンセプトは、自転車を借りて脚も折れよとペダルをぶんまわし、天馬の如く洛西・洛東をかけまわって有名無名合わせ呑み沢山の紅葉を見ること、そしてトッピングとして近代建築をふりかけることです。ご用達の京都サイクリングツアープロジェクト(KCTP)でレンタサイクルの予約をし、宿も京都駅近くのホテル京阪京都をおさえました。持参した本は『蕪村』(藤田真一 岩波新書705)です。

 2012年11月30日、新幹線のぞみに乗車して京都へ乗り込みますが、天気予報によるとあまり天候は良くない模様です。天下無双の晴れ男と自負しておりますが、やはり山ノ神のご加護がないとお天気powerは半減してしまうのかな。年次休暇がとれたので、すこし早目に出かけてリニューアルされた東京駅を見学することにしました。まずは丸の内南口ドームに行き、原敬首相の暗殺現場を撮影。プレートを転記します。
原首相遭難現場

大正10年11月4日午後7時20分、内閣総理大臣原敬は、京都で開かれる政友会京都支部大会におもむくため、丸の内南口の改札口に向っていた。そのとき、一人の青年が飛び出してきて案内にあたっていた高橋善一駅長(初代)の肩をかすめ、いきなり刃わたり5寸の短刀で原首相の右胸部を刺した。原首相はその場に倒れ、駅長室で手当を受けたが、すでに絶命していた。犯人は、原首相の卒(ママ)いる政友会内閣の強引な施策に不満を抱いて凶行におよんだと供述し、背後関係は不明であった。
 少々補足しましょう。犯人は、鉄道省山手線大塚駅転轍手の中岡艮一(こんいち)で、供述によれば、原が政商や財閥中心の政治を行ったと考えていたこと、野党の提出した普通選挙法に反対したこと、また尼港事件が起こったことなどによるとされています。その他、一連の疑獄事件が起きたことや、反政府的な意見の持ち主であった上司・橋本栄五郎の影響を受けたことなどもあって、艮一は原暗殺を考えるようになったようです。逮捕された艮一は、東京地裁で無期懲役の判決を受けました。なおこの裁判は異例の速さで進められ、また調書などもほとんど残されていないなど謎の多い裁判でした。その後の艮一は、三度もの大赦で1934年には早くも釈放され、戦時中には比較的安全な軍司令部付の兵となっていたそうです。戦前、政党人を殺害した犯人の罪科が軽いような印象を受けるのですが、調べてみましょう。
星亨を殺害した伊庭想太郎は無期徒刑、小菅監獄で病死。

犬養毅を殺害した三上卓は禁固15年の判決を受け、1938年に仮釈放。

浜口雄幸を殺害した佐郷屋留雄は、殺人未遂罪により死刑判決を受け、1934年恩赦で無期懲役に減刑され、1940年に仮出所。

井上準之助を殺害した小沼正は無期懲役となったが、1940年に恩赦で仮出所。
 やはり軍国主義への傾斜が深まると、司法も軍部・官僚に迎合するようになったようです。「国策・国益」に寄り添う判決を乱発する現在の司法のルーツも、このあたりにあるのかもしれません。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2014-04-30 06:27 | 京都 | Comments(0)
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