京都錦秋編(13):大谷本廟(12.12)

 朝目覚めて天気予報を見ると今日の天気は曇り、雨の心配はないようですので諒としましょう。ホテルにある「美濃吉」で朝食をいただき、チェックアウト。
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 荷物をフロントで預かってもらい、自転車にまたがりました。現在の時刻は午前七時、これからがっしゅがっしゅと東山を走りまわる予定です。まずは私の大好きな養源院へ、いつ来ても観光客の"か"の字もなく、ゆったりと紅葉を楽しむことができます。散りはじめているとはいえ、参道を覆うモミジのトンネル、その脇にある古木の紅葉を満喫しました。
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 そして大谷本廟へ、円通橋のあたりのモミジがきれいに色づいていました。
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 なおこちらには「師弟愛の碑」があります。1934(昭和9)年、瞬間最大風速84.5m/sという日本気象観測史上最高記録を記録し、死者2702名、行方不明者334名をだした超大型の室戸台風が近畿地方を襲い、大阪府豊能郡豊津尋常高等小学校の校舎が倒壊しました。51人の生徒が死亡、二人の女性教師が殉職したのですが、その一人横山仁和子先生は自らの体の下に学童三人をかばって命を救いました。彼女が、西本願寺系の流れをくむ京都女子高等専門学校(現京都女子大学)の卒業生であった縁で、ここに慰霊碑が建てられたそうです。合掌。実は、この大きな被害には、人災と言うべき一面があります。室戸測候所ではこの途方もない台風の襲来を連絡しようとしますが、唯一の通信手段である郵便局の有線が停電で使用できませんでした。当時の日本は、軍事を優先していたために防災システムがお粗末だったのですね。このことを、寺田寅彦が瞋恚の炎を冷静な筆致でおさえて書いた随筆が「天災と国防」(寺田寅彦随筆集(5) 岩波文庫)です。
 戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない。その上に、いついかなる程度の地震暴風津波洪水が来るか今のところ容易に予知することができない。最後通牒も何もなしに突然襲来するのである。それだから国家を脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである。

 人類が進歩するに従って愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。砲煙弾雨の中に身を賭して敵の陣営に突撃するのもたしかに貴い日本魂であるが、○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相として期待してしかるべきことではないかと思われる。天災の起こった時に始めて大急ぎでそうした愛国心を発揮するのも結構であるが、昆虫や鳥獣でない二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはもう少しちがった、もう少し合理的な様式があってしかるべきではないかと思う次第である。
 書評にも書きましたが、彼はおそらくこう言いたかったのではないでしょうか。「天災への対策を講ぜず、不合理な戦争を熱狂的に支持する日本国民は昆虫や鳥獣と同等の存在である。」 昆虫・鳥獣に失礼な言い方だという留保はつけますが… 当時の軍国主義的な風潮に対する、これほど合理的で痛烈な批判にはなかなかお目にかかれません。ふりかって現在のわれわれは「二十一世紀の科学的文明国民」に値するのでしょうか。昨今相次いだ天災による被害を見るにつけ、疑問に思います。天災に対する研究・対策・救援・補償にかける予算は、防衛費に較べて微々たるものなのが現状では。「国益」という言葉が氾濫して辟易しておりますが、この列島で暮らしている人々の生命・財産を守るのがその本来の意味であるべきです。という書評を掲載したのが2005年、すこしは先見の明があったかなと自負するとともに、東日本大震災の後もそれほど状況に変化がないのには落胆しています。金のかかる東京オリンピックを熱狂的に支持する方々に「金の使い道が違うでしょ」と半畳を入れたくなります。

 本日の二枚は、養源院と師弟愛の碑です。
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by sabasaba13 | 2014-05-18 07:41 | 京都 | Comments(0)
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