京都錦秋編(14):清水寺(12.12)

 それでは清水寺へと参りましょう。途中に「あぶない自転車のおにごっこ」という看板がありました。面白そうだけれど、傍迷惑ですね。あるお寺さんには「待ったなしやり直しなしに木の葉散る」という掲示。深いような浅いような。
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 五条坂をのぼりきったところにある駐車場に自転車を置き、清水寺本堂へ。舞台のあたりは立ち入り禁止でした。奥の院へ行こうとすると、お寺の方が、おみくじが結ばれている鉄の棒を引き抜き、ざざざっと大きな紙袋へ流し込みました。おみくじの運命や如何に、やはり焼却処分なのかな。
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恒例の絵馬ウォッチングをしていると、「(1)レチェルが勝つように(2)外人になれますように(3)色々と大成したい(4)那覇の町が平和になるように」「誠実な人間であれます様に」というものがありましたが、♪人生いろいろ♪ですね。
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 そして奥の院から、清水の舞台全景を撮影。申し遅れましたが、紅葉はほとんど散っておりました。音羽の滝を通って下へ降り舞台を見上げていると、「北天の雄 阿弖流為・母禮之碑」に気づきました。解説によると、石碑に刻まれているのは、現在の岩手県奥州市地域を本拠地とした蝦夷の首長・阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の名前です。二人は平安朝廷の東北平定政策に対して勇敢に戦いましたが、郷土の犠牲に心を痛め、征夷大将軍・坂上田村麻呂の軍門に下りました。将軍は両雄の武勇、器量を惜しみ朝廷に助命嘆願しましたが、許されず処刑されてしまいました。田村麻呂が清水寺と所縁が深いということで、彼らの顕彰碑が建てられたのですね。地方を犠牲にして中央が富み栄えるという構図、日本の歴史を連綿と貫いているようです。なお弘前で「阿弖流為」という日本酒を呑んだことを思い出しました。
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 そして清水坂、三年坂、二年坂を歩いて八坂の塔へ。このあたりの落ち着いた雰囲気の景観はいつ来てもいいですね、心がほっとします。
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 それでは霊山護国神社へと向かいましょう。途中に「翠紅館(すいこうかん)跡」という解説板がありましたので、その一部を引用します。
 ここに幕末の頃、翠紅館と呼ばれていた屋敷があり、たびたび志士達の会合の場となっていた。(中略)
 文久三年(1863)正月二十七日には、土佐藩の武市半平太、長州藩の井上聞多、久坂玄瑞ら多数が集まり、ついで同年六月十七日にも、長州藩の桂小五郎、久留米藩の真木保臣(和泉守)らが集まった。この数年前から、攘夷運動は次第に高まり、反幕府の政治勢力となりつつあったが、これら各藩の志士代表者会議で、攘夷の具体的方法が検討され、世にこれを翠紅館会議という。同年八月十三日には、孝明天皇の大和行幸の詔書が出されて攘夷運動は頂点に達した。
 しかし八月十八日に政変が起こり、その結果攘夷派は失脚、代って公武合体派が主導権を握り、幕末の政局は混迷の度を増していった。
 なるほど、幕末の志士たちのたまり場だったのですね。現在は「京大和」という料亭になっています。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2014-05-19 06:34 | 京都 | Comments(0)
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