京都錦秋編(16):霊山護国神社(12.12)

 しかし本当に、パール博士は「日本の無罪」を主張したのでしょうか。それは右派ナショナリストの方々による、ミスリーディング、拡大解釈、あるいはご都合主義的な流用ではないのか。この問題に鋭く切り込んだのが、中島岳志氏による『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社)です。本書に依拠しながら、パール判事の真意を見ていくことにしましょう。まず彼は、戦勝国が裁判所憲章で新たな罪(「平和に対する罪」)を創作し、立法を行うような権限は有していないと、この裁判の構造を批判します。もしそれを認めたら、司法が政治に乗っ取られ、戦争に勝ちさえすれば国際法を無視して自分たちの都合のよいように裁くことができるという認識を広めることになる。東京裁判は結果として侵略戦争の撲滅ではなく、侵略戦争の拡大につながり、国際秩序の根本が崩壊する。パール博士は、世界平和のために、正式な法的手続きの遵守と「法の支配」の確立を重視していたわけです。しかし南京虐殺をはじめとする日本軍の虐殺行為はこれを事実として認定し厳しく非難しています。それらは国際法上確立された罪として裁くべきだと主張しますが、その刑事上の責任をA級戦犯容疑者に問うことは、証拠不十分のため不可能であるという結論を出します。これは法的には無罪ということで、指導者たちの道義的責任を免罪したのではありません。ましてや、日本の植民地政策を正当化したり、「大東亜」戦争を肯定する主張など一切していません。
 さらに銘肝すべきは、この判決書を貫くパール判事の歴史観です。悪しき日本帝国主義を生み出した最大の要因は西洋列強の植民地主義であり、日本はその悪しき「模倣者」であって、その道義的責任は連合国にも日本にも存在すると、彼は見ていたのですね。そして、このような帝国主義国の「非道」を正当に裁くことのできない国際社会の限界を冷静に指摘し、「世界連邦」の実現に向けて人類が一致して努力すべきことを訴えます。また、国際法の整備と確立を進め、法を真理に近づけるべく努力することこそが「文明」の使命であると説きます。
 この判決書を締めくくる一文が、碑文に刻まれた「時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその假面をはぎとった暁には、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう」です。この"所を変える"を、右派ナショナリストの方々は、意図的にか無邪気にか「日本は無罪だ」と読み替えてしまうのですね。
 また碑文に「日本にも度々来訪されて日本国民を激励されました」とありますが、本書ではその"激励"の内実についても触れています。まずパールはアメリカによる原爆投下を厳しく批判します。その背景には、抜きがたい人種差別の感情があり、原爆投下は戦争終結に不必要な攻撃であり、その本質は「大量殺人」を伴う「実験」である。このような残忍な行為を行ったアメリカは、未だに反省の念を口にしていない、と。
 アメリカは、原爆投下がなければ戦争が長期化し、自陣営にさらなる犠牲者が出続けたと主張し続けている。しかし、そのような口実で罪のない老人や子どもを殺戮してよいのだろうか。平和的生活を営む一般市民を無差別に虐殺した人間が、人道主義や平和という言葉を弄ぶことに、深い憂慮の念を抱かざるを得ない。「われわれはこうした手合いと、ふたたび人道や平和について語りあいたくはないのである」[パール1953:15]。(p.245)
 さらに、原爆の出現によって大国間の戦争が世界を破滅に導くことが明らかになった状況の中、自らの支配欲によって世界の対立を深刻化させようとするアメリカに対し、パールは厳しい態度で批判を続けます。また、そのようなアメリカに対して、無批判に追随する日本人にも、パールの厳しい批判の矛先は向けられます。
 原爆の責任の所在をあいまいにし、アメリカの顔色を伺う日本人。主体性を失い、無批判にアメリカに追随する日本人。東京裁判を忘却し、再軍備の道を突き進み、朝鮮戦争をサポートする日本人。
 パールは、アメリカの意向を至上の価値として仰ぐ戦後日本の軽薄さに憤った。戦争に対する反省の仕方を誤り、再び平和の道を踏み外そうとする日本に苛立った。(p.248)
 こうしたパールの思いを「日本にも度々来訪されて日本国民を激励されました」の一言ですませてしまう単純さには頭が下がります。
 というわけで、彼が投げかけてくれた課題に対して、現在に至るまでわれわれは十全に応えていないようです。真の自立と独立、アメリカへの従属、アジアとの友好、世界平和への貢献。そして何よりも第一歩として、過去の歴史に対してどう向き合うのか。A級戦犯を合祀した靖国神社を参拝した首相が支持されているような状況では、前途多難ですが。
 余談ですが、常々不可思議に思っていることがあります。靖国神社に祀られている戦没者のうち、相当数が兵站を無視した無謀な作戦によって亡くなられた方々だと考えます。ではその作戦を立案したのは誰であったのか。参謀本部の、作戦部長・田中新一、作戦課長・服部卓四郎、戦力班長・辻政信、そして作戦参謀・瀬島龍三でしょう。数多の"英霊"をつくりだしたこの四人組に対して、靖国神社賛成派の方からの糾弾が、なぜないのでしょう。私が遺族だったら、肉親を無駄死に追いやった責任者は絶対に許せませんが。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2014-05-22 17:08 | 京都 | Comments(0)
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