『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』

 『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』(下村治 文春文庫)読了。なんとも大胆な書名ですが、内田樹氏の『街場の憂国論』(晶文社)で紹介されていた本です。著者の故下村氏は大蔵官僚にしてエコノミスト、池田勇人内閣の経済ブレーンとして高度経済成長の理論的支柱となった方だそうです。本書は1987(昭和62)年に上梓されたもので、アメリカの国際収支赤字の元凶は日本であると攻撃するレーガン大統領に抗して書かれた随筆です。何といっても白眉は下記の一文でしょう。以下、引用します。
 では、本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人が、どうやって食べてどうやって生きて行くかという問題である。この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない。そういう前提で生きている。中には外国に脱出する者があっても、それは例外的である。全員がこの四つの島で生涯を過ごす運命にある。
 その一億二千万が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である。
 もちろん、日本は日本でそういう努力を重ねるが、他の国は他の国でそういう努力をする。そこでいろんな摩擦が起きるのは当然のことである。それをなんとか調整しながらやっていくのが国際経済なのである。(p.95)
 うむむ、これほど直截に明快に経済の本質を述べた文にははじめて出会いました。まさしく経世済民。「己一人だけがいかに豊かになるか」を声高に昨今の風潮に辟易しているだけに、一陣の涼風のように心を駆け抜けます。そして列島に住む日本人の暮らしを保障するために、近現代の日本は二種の産業を育成してきたというのが著者の分析です。まず多くの人に就業の機会を与えるための、生産高の割に人手を多く必要とする生産性の低い部門。もう一つが、徹底的に合理化して相対的に人手をあまり必要としない生産性の高い部門。よって国民経済を守るために、前者(代表的な例が農業)を保護するのは当然である。もちろんこれは世界各国にもあてはまる道理です。つまり保護貿易主義は国際経済の基本であり、それぞれの国にある、生きるために維持すべき最低の条件を無視した自由貿易は百害あって一利なし、というのが著者の主張です。
 そしてアメリカ政府が自由貿易主義を金科玉条にする背後には、多国籍企業の論理が存在すると分析されます。その論理とは、国民生活の安定なぞ眼中になく、「勝手気儘にやらせてくれ」と言わんばかりに利潤獲得に邁進するというものです。今で言えば、新自由主義ですね。

 氏の言われる「国民経済VS多国籍企業」という構図で考えると、現在の状況を理解しやすくなります。安倍伍長は、国富を生産性の高い産業に集中し、生産性の低い産業を切り捨てるおつもりなのでしょう。要するに、一億二千万人をすべて食わせていくつもりなどは毛頭ないと。まずは国民が安心して暮らせるようにするのが政府の最大の責務であるという、当たり前だけど大事なことを思い出させてくれる好著です。

 なお気になる点が二つほどあったので指摘しておきます。まずは下記の一文をご覧ください。
 自由貿易主義の決定的な間違いは、国民経済の視点を欠いていることだ。
 こういう思想にとびつくととんでもないことになる、ということはチリが示している。この国は、フリードマンの、保護貿易はやめてしまえという主張に同調して、完全に自由貿易にしてしまった。ところがどうなったか。たちまち経済はメチャクチャになり、国全体が大騒ぎになった。そうして、逆戻りしてしまったのだ。(p.96)
 当時のチリを支配していたのは、"もう一つの9・11"、1973年9月11日にクーデターでアジェンデ政権を倒して独裁者となったピノチェト。フリードマンとは、ミルトン・フリードマン、「規制緩和・民営化・社会支出削減」を三本柱とした自由放任資本主義(新自由主義)の実現に東奔西走したシカゴ学派の総帥ですね。下村氏はさらっと流して書かれていますが、このクーデターと自由貿易(新自由主義)には深い連関があることが、『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(ナオミ・クライン 岩波書店)を読んでよくわかりました。これはピノチェト、チリの資産家、そしてCIA、アメリカのグローバル企業、そしてフリードマンの薫陶を受けた経済学者(シカゴ・ボーイズ)が協力して行なった、チリに新自由主義を導入させるためのクーデターだったのですね。これ以降、クーデターや戦争や大災害を隠れ蓑にして、同じ政策が何重もの国々で実施されていきます。ブラジル、アルゼンチン、イギリス(フォークランド紛争)、イラク、そしてアメリカ(ハリケーン・カトリーナ)でも。チリはそうした反革命の起源、恐怖の起源だったというのが前書の主張です。上梓されたのが1987年なので、下村氏が気づかなかったのも仕方ないでしょう。でももう私たちは分かっています。新自由主義=自由放任資本主義=大企業の勝手気儘にやらせてくれ主義は、私たちがコークスクリュー・パンチをくらって朦朧といている隙に、無理やり口からねじこまれるのだということを。銘肝しましょう。

 もう一つは下記の一文です。
 つまり、これら(※筆者注:日本国憲法・教育基本法・国語国字問題)はGHQの日本弱体化政策の置き土産なのである。そして、戦後の日本は、この置き土産をもとにして政治や経済や文化活動を続けてきた。その中でとくに、アメリカが期待した以上に日本の伝統否定、伝統的な価値否定、日本人の自尊心の否定といったことを推進してきたのが日教組なのである。
 その日教組が教育を支配してどうなったかというと、それは教育現場の荒廃である。教育現場が荒廃したことによって、児童教育に空白が生じ、日本人の考え方の弱さというものが生まれてきた。日本人として主体的にモノを考えることができなくなった。
 たとえば、国旗を見てもなんの感動も起こさないのは日本人だけだといわれる。世界中の青少年を船に乗せて船上教育を行うといった行動が最近は多いが、他の国の子供たちは自国だけではなく他国の国旗が出てくるとピシッと直立不動になるのに対して、日本人だけはモヤモヤしている、というような状態である。
 これでは、自分たちの国や社会を望ましいものにするために、汗を流したり、場合によっては血を流すという考えは出てこない。(p.209~10)
 ここまでしっかりとした根拠や実例に基づいて、論理的に主張を展開されてきた著者が、教育のことになると感情的になり論の歯切れもわるくなります。"国旗を見ても感動しないのは日本人だけだといわれる"、誰が言ったの? その根拠は? 国旗を見て感動する方は、日本を望ましいものするために汗や血を流すものなのでしょうか。福島や沖縄の人びとを見殺しにしている安倍伍長を筆頭とした政治家・官僚諸氏は、国旗に対してピシッと直立不動してますけれど。
by sabasaba13 | 2014-05-29 06:41 | | Comments(0)
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