越後編(9):宿根木(13.3)

 そして佐渡旅行で、一番訪れたかった宿根木(しゅくねぎ)に到着です。佐渡金山繁栄期の江戸寛文期(1661~78)に回船業の集落として発展した町で、そのため多くの船大工が集まりました。入り江の狭い地形に、船大工が腕に縒りをかけて建てた家屋が密集する町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。それではタクシーからおり、散策をはじめましょう。まず驚かされたのが、集落の前面を覆う巨大な竹柵です。佐渡は竹の産地だそうですが、これは防風のためなのでしょうか。柵をくぐって中へ入ると、メイン・ストリートの「世捨小路」です。とは言っても、かろうじてすれ違えるくらいの狭い路ですが、つるつるに擦り減った石畳がいい味をだしています。それにしても凄いネーミングですね、骸がこの路を運ばれたからでしょうか。
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 そして両側に櫛比する杉板張りのしぶい木造家屋。壁面下部の腰板は、千石船建造の際に余ったものや、廃船の板を利用したそうです。その奥には、「書家、医者、地理学者 柴田収蔵、生家」という看板のかかるお宅がありました。はじめて聞くお名前ですね、ちょっとインターネットで調べてみましょう。1820(文政3)年に宿根木に生まれた柴田収蔵は、江戸で篆刻や伊東玄朴から蘭学を学んだ後、帰島してここで開業医となりました。家督を弟に譲って再び江戸で天文・地理を学び、32歳になった時に「新訂坤輿略全図」という卵形地図を出版しました。1856(安政3)年、収蔵は勝海舟の推薦で蕃所調書絵図調出役に任じられましたが、1859(安政6)年に40歳でこの世を去りました。死因は酒害による癌だったらしいですが、はっきりとわかっていません。
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 公開民家「清九郎」の外観を拝見し、向かいにある蔵の瓦に鎮座されている大黒様を撮影。
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 旧宿根木郵便局は1921(大正10)年に建てられたものです。扇をかたどった小粋な軒下飾りを撮影してすこし歩くと、宿根木のシンボル・三角家がありました。
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 狭い敷地を有効活用するために、船大工が工夫して建てた三角形の家です。路地の脇を流れる清流には、「洗い場」という説明板がありました。
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 レトロな宿根木公会堂の先にあるのが、時宗のお寺さん、称光寺です。こちらの住職・林道明氏が宮本常一に惚れこみ、以後、ここが彼の常宿となったそうです。[『宮本常一が見た日本』 p.191]
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 伊三郎家には、名字・石塚の「石」を意匠とした軒下飾りがありました。
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 小さな港の方へ歩いていくと、御影石製の白い柱が見えましたが、かつて千石船を繋留した「船つなぎ石」です。
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 本日の六枚です。
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by sabasaba13 | 2014-06-07 08:08 | 中部 | Comments(0)
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