越後編(10):佐渡国小木民俗博物館(13.3)

 それでは矢島・経島へ向かいましょう。途中にある坂からは宿根木の町並みを一望することができました。薄く割った板(木羽)を何枚も重ねた上に石を置く、石置木羽葺屋根の様子がよくわかります。途中にあるのが、1920年に建てられた旧宿根木小学校の校舎を利用して南佐渡の漁撈用具や民俗資料を展示する佐渡国小木民俗博物館です。実は、その設立の中心となったのが宮本常一だったのですね。前出の林道明住職も協力し、初代館長となっています。『宮本常一が見た日本』から引用します。
 宮本が小木に民俗博物館をつくるのを急いだのは、一つには、京都の古物商たちが昭和三十年頃から小木の町に入りこみ、旧家にある民具類を安い値段で片っ端から買い漁っていたことと、昭和三十年代後半から四十年代前半にかけて小木の町に新築ラッシュが起き、民具類が廃棄される可能性が高まっていたためだった。北前船の関係で小木には貴重な民具類がたくさん集まっていたが、それが裏目に出て小木の人びとは高価な古伊万里をネコのエサ皿に使うような暮らしを平気でしていた。
 しかし、もう一つの理由の方が宮本にとっては切実だった。宮本は民俗博物館をつくることで沈滞した小木の町の空気をなんとか打破しようと考えた。
 古い民具が家のどこにあるかを一番よく知っているのは家庭の主婦である。ところが主婦はその使い方を知らない。知っているのは老人だ。けれど老人にはそれを運搬するだけの体力がない。それを運ぶのは若者だ。民具をただ集めるだけならば骨董屋と同じだ。博物館づくりは老若男女の力を結集することだ。人びとの力を結集することによって、沈滞した地域に活力と自信を与えることができる。
 これが、宮本の博物館づくりの持論だった。宮本はこの持論をもって、小木じゅうをアジテートして歩いた。(p.192)
 何という志の高さ、「済民家」宮本常一の面目躍如ですね。それではあまり時間はとれませんが、中を見学することにいたしましょう。旧校舎や新しい展示棟に、漁撈用具・農具などが所狭しと展示されていましたが、宮本常一氏の熱き思いがひしひしと伝わってきました。
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 展示棟の前には、移築・復元した船小屋が野外展示されています。
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 また千石船展示館には、完全に復元された千石船「白山丸」が展示されています。なお以前に、酒田で復元和船「みちのく丸」に乗船したことがありましたが、こちらは海に浮かべることがあるのかな。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2014-06-08 09:22 | 中部 | Comments(0)
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