越後編(24):日本海タワー(13.3)

 なおこのあたりは「ドン山」と呼ばれ、空砲を撃って正午を知らせていた場所でした。その大砲と番小屋が復元されていました。歩道橋からは日本海を見渡せるのですが、残念ながら曇天のため海は鉛色、佐渡も見えませんでした。近くにあったのが竹内式部の像、うーん、大学受験の際に覚えたなあ。たしか尊皇論を唱えて江戸幕府に処罰された学者だったと記憶しています。
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 後学のため、解説を転記します。
竹内式部(1712~67)
 當地の医家に生る。青年の日上洛して徳大寺家に仕え、儒学、神学を修め、後、家塾を開く。説くところ、神道に基づく尊王思想なり。少壮の公卿多く師事して、その感化により、朝廷の権威回復を志し、為に宝暦九年(1759)京都を追わる。宝暦事件と云い、尊王論者処罪の最初の事件とす。後、友人藤井右門明和事件明和三年(1766)を起こすや、累、式部に及び、翌四年八丈島へ流罪の途中十二月五日寄港地三宅島にて病歿す。
 なかなか格調の高い文章ですね。彼も天皇を道具として利用しようとしたのでしょうか。ユニークな意匠の透かしブロックや、洒落た趣の住宅を撮影し、南山配水場へと向かいます。
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 ここは日本初の二階層配水池で、上部には日本海タワーが乗っかっています。さっそく入場料を支払ってタワーに上って鉛色の空と海を眺めましたが、天気の良い日は素晴らしい眺望でしょう。そして新潟大神宮へ、鳥居のところに「安吾生誕の地」碑があります。"私のふるさとの家は 空と海と砂と松林であった そして吹く風であり風の音であった"(『石の思ひ』より)
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2014-06-25 06:35 | 中部 | Comments(0)
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