まずは徒歩でカールスプラッツ(Karlsplats)駅へと向かいましょう。ホテルのすぐ近くには、カプツィーナー教会(皇帝納骨所)がありました。1633年以来、ハプスブルク家の12人の歴代皇帝を含む146体の柩が安置されていますが、以前に訪問したことがあるので省略。その先、国立オペラ座の裏にあるのがアルベルティーナ広場。ここには"Monument against War and Fascism"と名づけられたモニュメントがあります。

悶え苦しむ人体で構成された大きな門は"The Gate of the Violence"、マウトハウゼン強制収容所で囚人たちが切り出した大理石でつくられているそうです。その前にある、有刺鉄線で縛られうずくまる人物の彫刻は"Street-washing Jew"。これについては『観光コースでないウィーン』(松岡由季 高文研)から引用しましょう。
道路にはいつくばっている小さな像は、ナチスによる「水晶の夜」事件後の、ユダヤ人の姿を表しています。「水晶の夜」事件とは何だったのでしょうか? 全ドイツ・オーストリアでいっせいに起きたナチスによる組織的なユダヤ人襲撃事件です。
事の発端は、フランスで起こります。ポーランドでのナチスによるユダヤ人迫害に反発したユダヤ系ポーランド人の少年が、パリでドイツ人外交官を射殺しました。これを格好のきっかけととらえたナチスの宣伝相ゲッベルスは、「報復」としてユダヤ人を襲撃するよう党員たちに呼びかけたのです。
1938年11月9日夜から10日未明にかけて-多くの市民も手を貸したのですが-ナチスは、オーストリア中で267のシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)を破壊し、7500人のユダヤ人の商店と住居を壊し、91人のユダヤ人を殺害しました。この一晩だけで二万六千人ものユダヤ人が、暴徒によって傷を負わされました。
この時、こなごなに砕けて路上に散ったガラスの破片の様子から「水晶の夜」事件と呼ばれています。この事件の後、ナチスは破壊行為の責任をもユダヤ人に押しつけ、ユダヤ人に10億マルクの課徴金を課しました。あわせてその後始末としてウィーン市内では、ユダヤ人が人々が見ている中、ひざまずいてタワシや雑巾で道路を清掃させられました。この像はそのひざまずいて掃除をしているユダヤ人を表しています。ユダヤ人にかかっている鎖は、強制収容所に張りめぐらされた有刺鉄線です。(p.57~8)
その自らの罪科を思い起こさせるモニュメントを市内の中心部に設置するところに、過去へ真摯に向き合おうとする姿勢を感じます。私たちには、自警団に誰何される朝鮮人・中国人のモニュメントを東京の中心部に設置する勇気があるでしょうか。
本日の三枚です。