オーストリア編(20):シナゴーグ(13.8)

 シュテファンスプラッツ(Stephansplatz)駅から地下鉄U1に乗って、次のシュヴェーデンプラッツ(Schwedenplatz)駅で下車。創建740年と伝えられる、ウィーンで最も古いルプレヒト教会を撮影して、路地へと分け入ってまいります。このあたりの三角形エリアは若者向けのカフェ・バーが集まり、飲んで朝まで帰ってこないので「バミューダ・トライアングル」と呼ばれているそうです。ザイテンシュテッテン小路(Seitenstettengasse)には車両通行止めのような鎖がありますが、これはユダヤ人居住区ゲットーの境界線にはられていたものだそうです。鎖に触れると歴史の重みが伝わってくるようです。
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 なおこの通りにはウィーンシティ・シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)があり、警官が物々しく巡邏をしていました。1982年にここでテロ事件が起きたため、警戒が厳重になったそうです。前掲書によると、このシナゴーグのみが戦前からの姿を残しているそうです。普通、シナゴーグは広場の中心に独立して建てられるのですが、ここは建物の中に組み込まれ外観からはそれとはわからず、しかも他の建物と境界を接しています。なぜこうした特異な姿となったのか? このシナゴーグが建てられたのは1824‐26年、当時ウィーンに住んでいたのは富裕なユダヤ人がほとんどでしたが、彼らはシナゴーグをつくることを許されませんでした。皇帝に懇願した結果、やっと建設が許可されたのですが、その条件は、外から見てシナゴーグと分からないようにすること、他の建物と接してつくるというものでした。
 その後、1867年にオーストリア・ハンガリー二重帝国が生まれ、ユダヤ人はキリスト教徒と同じ権利を持つことができるようになります。税金なしでウィーン市街に出入りすることができるようになり、ユダヤ人の人口は5千人から15万人にふくれあがりました。ジークムント・フロイトやグスタフ・マーラーが活躍したのもこの時代ですね。しかし前述のように、ナチスおよびオーストリア人によるユダヤ人迫害がはじまり、「水晶の夜」事件では、ウィーンにあった90以上ものシナゴーグがすべて破壊されました。このウィーンシティ・シナゴーグだけが全壊を免れたのは、ここに火をつけると他の建物に燃え移り旧市街が大火災になることを恐れたためです。そこでナチスは、内部だけを破壊し、建物はそのまま残したとのことです。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2014-09-27 06:31 | 海外 | Comments(0)
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