ノーベル平和賞

 2014年のノーベル平和賞は、危険を顧みずに女子教育の権利を唱え続けるパキスタンの女子学生マララ・ユスフザイさんと、インドにおける児童労働問題の活動家カイラシュ・サティヤルティさんに授与されました。タゴール曰く"どの赤ん坊も、神はまだ人間に絶望していないというメッセージをたずさえてくる"、魯迅曰く"子どもを救え"、新渡戸稲造曰く"人類は子どもに対して最善のものを与える義務を負う"、ジョン・ラスキン曰く"けがれなく、あらゆる可能性に満ちた子どもがうまれてこなかったら、この世はどんなにか恐ろしいことであろう"、そしてエルネスト・サバト曰く"私たちは子どものケアは単なる片手間の仕事ではなく、つまずきながら進む人類が立ち直るための唯一の必須の道であることを理解しなければならない"。奈落に落ちる縁に自らを追い込んだ人類にとって、その存亡は子どもたちにかかっています。子どもたちのための活動に尽力されているお二人がノーベル平和賞を受賞されたことを、心より嬉しく思います。
 なおその有力候補としてあげられていた日本国憲法第九条は、受賞を逃しました。オバマ大統領や安倍伍長をはじめ、日米両政府の皆々様はほっとしているだろうなあ。私ももちろん残念でしたが、ふと考え込んでしまいます。憲法をめぐる日本の現状は、果たしてノーベル平和賞受賞やノミネートに値するものなのか、否か。

 これは空想というか妄想ですが、もし受賞が決まった時に、衆議院議長が次のようなスピーチをして辞退をすれば、日本および世界に衝撃が走るのではないでしょうか。
 ノーベル平和賞の授与、ありがとうございました。しかしわれわれ日本国民は、謹んで受賞を辞退いたします。法学者の小室直樹氏は、「憲法は本質的に慣習法である。つまり、たとえ憲法が廃止されなくても、憲法の精神が無視されているのであれば、その憲法は実質的な効力を失ったと考えるべきだ」と述べられています。ひるがえって日本国憲法の精神とは何でしょうか。前文にあるように、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持する決意」だと考えます。そして第九条にあるように、国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇とその行使を放棄し、戦力を保持しないということです。しかし現実はどうだったでしょう。確かに、戦後日本は戦争も武力の行使もいたしませんでした。だが国益と経済的な覇権を求めて戦争・武力行使を繰り返すアメリカ合衆国に軍事基地を提供し、陰に陽に協力するとともに、その余禄にあずかってきたのは紛れもない事実です。しかも憲法という条文が存在するということだけで平和国家を自称し、アメリカ合衆国との軍事的協力関係には目を閉ざしてきました。
 いかがでしょう。日本国憲法の精神は、その実質的効力は失われた、つまり日本国憲法は「死んでいる」ということがお分かりになられたでしょうか。よってわが日本国憲法はノーベル平和賞に値するとは言い得ません。よってここに辞退申し上げます。
 いつの日にか、臓腑を抉るような猛省と真摯な議論を経たのち、この憲法の精神を実現させようと言う国民的合意ができた時、そして平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めようという合意ができた時、その時にこそこの賞をいただければ幸甚です。ご静聴をありがとうございました。

by sabasaba13 | 2014-10-13 06:44 | 鶏肋 | Comments(1)
Commented at 2014-10-13 13:33 x
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