真鶴半島編(3):(05.7)

 美術館前にある片山哲の漢詩の碑を見て、気持ちよい遊歩道を歩いて森の中を抜けます。この森林は「御林」または「魚付き林」と呼ばれているそうです。江戸時代、萱原だったこの場所に、小田原藩が3年かけて15万本の松を植林しました。明治維新後、皇室御料林となり、戦後真鶴町に払い下げられます。この森林から海に流れ出る豊かな栄養分が、魚たちをはぐくんでいるので「魚付き林」なのですね。江戸時代については毀誉褒貶がありますが、自然に対する洞察と畏敬の念に関しては頭が下がります。数十年、数百年というスパンで開発を考えていたと思いますね。途中で出会った大きな洞(うろ)をもつ巨木には圧倒されました。「地球にやさしく」などという人間の増上慢をあざ笑うかのごとく、とてつもない存在感で周囲を睥睨しています。
 そして町営保養施設「ケープ真鶴」に到着。昼飯にしましょう。アジのたたきとフライがついたお得な定食にしました。サバも好きですが、アジも好物。舌鼓を打ちながら、あっという間にたいらげ、ふと気づきました。私は、フライのつけ合わせのキャベツは残さないが、刺身のツマは残してしまう。みなさんはいかがですか。後で山ノ神のご託宣をうかがったら、魚の生臭さがうつっているからではないかという意見でした。なるほど。これからは残さないようにしようと誓うとともに、ツマは別の皿に盛りつけてほしいと料理人の方々に要望します。与謝野晶子の歌碑、台場跡を見て、真鶴岬先端にある三ツ石へ。
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 そしてここからバスに乗って、真鶴港へ移動します。「魚市場」で降りて、鵐窟(しとどのいわや)を見物。石橋山の戦いに敗れた源頼朝が隠れ潜んだ洞窟ですね。暗くて中の様子はわかりません。デジタル・カメラで撮影してみると、頼朝らしき小さな石像がぽつねんと佇んでいました。寂しそう。残りの六人もつくってあげればいいのに。すぐそばに「品川台場礎石の碑」がありました。そういえば、真鶴半島は小松石という名石の産地で、鎌倉時代から石材業がさかんだったそうです。ここからはふたたび道祖神めぐりです。
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 本日の一枚は、真鶴半島の巨木です。
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by sabasaba13 | 2005-07-15 06:10 | 関東 | Comments(2)
Commented by らんちゃんばあば at 2017-08-01 16:24 x
突然ですが、以前、私の俳句の師河野南畦の句碑が真鶴岬の石の公園というところに建てられていたはずで・・・ネットで検索したのですが見つからず。たまたま貴ブログの記事に行き当たりました。昭和55年頃のことだと思うのですが、確かその石の公園には他の俳人の句碑もいくつかあり、句碑の径と名付けられたと思うのですが・・・その後の情報を何かご存知でしたらご教示願えないでしょうか。
Commented by sabasaba13 at 2017-08-02 19:31
 こんばんは、らんちゃんばあばさん。さっそくアーカイブを探したのですが、該当の句碑はありませんでした。お役に立てなくて申し訳ありません。もし真鶴半島にまた行く機会があったら、河野南畦氏の句碑を必ず撮影してきます。
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