『生きものの記録』

c0051620_6283197.jpg 映画『東京原発』に触発されて、黒澤明監督の『生きものの記録』のDVD(筆者注:私はブルー・レイ再生機器を持っておりません)を購入して鑑賞。言葉を失う衝撃的な作品でした。パッケージに記されていたあらすじを紹介します。
 鋳物工場の経営者・中島喜一は、家族全員でブラジルに移住しようと、突然言い出す。原水爆と放射能に対して被害妄想に陥った喜一は、地球上で安全なのは南米しかないと主張。財産を処分してまで実行しようとする喜一に家族は猛反対、法律に訴えてまで阻止するが、追いつめられた喜一は驚くべき行動に出る…。
 付け加えれば、最後に、心胆が凍りつき後頭部をバールのようなもので殴打されるようなシーンが待っています。
 制作年は1955年、そう、アメリカ合衆国が行なったビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸が被曝したのが1954年3月、その翌年です。ウィキペディアによると、黒澤と名コンビを組んだ音楽担当の早坂文雄が、このニュースを聞いて、「こんな時代では、安心して仕事が出来ない」ともらしたことをきっかけに制作されたそうです。なお彼はこの直後に結核で逝去されたので、テロップで遺作と紹介されていました。
 中島喜一を演じるのは三船敏郎、当時35歳の彼が70歳の老人役を見事にこなします。しかもその役柄が半端ではなく難しいもの。核戦争と放射能にただ怯えるのはではなく、そんな馬鹿げたものに殺されるのは真っ平御免と、強固な意思をもって逃避しようとする狷介で頑固な、しかし愛する家族や孫たちを何とかして救おうとする優しさをも持つ老人の姿を完璧に演じきっています。じょじょに彼に共感していく家裁調停委員・原田を演じる名優・志村喬の影も薄いというもの。
 家族との軋轢や衝突をくりかえしながら、次第に常軌を逸していく喜一の言動を見ていると背筋を冷たいものが走ります。ほんとうに常軌を逸しているのは、核戦争や放射能に無関心かつ無知で、身辺の生活と目先の将来しか視野に入らない周囲の人々、そして私たちではないのか。「水爆なんてものを作った馬鹿に殺されてもいいのか!」という喜一の怒号が聴こえてきます。実は喜一の不安と恐怖と怒りは杞憂ではなかったのですね。『核の海の証言 ビキニ事件は終わらない』(山下正寿 新日本出版社)によると、被曝したのは第五福竜丸だけでなく、多くの船舶員やロンゲラップ島民が被害を受けたのですが、日米両政府はその事実を隠蔽しました。またあろうことか…
 ビキニ水爆実験で「死の灰」は成層圏に達して一年以上も北半球全域に降り、ストロンチウム90、セシウム137などの放射能汚染が続き、発ガン率(ヨーロッパ放射線リスク委員会統計、6500万人のガン、小児、胎児死亡)を高めた原因と言われている。特に、日本の小児ガン死亡率が核実験にそって高まり、1968年には戦前の七倍となっている。(p.231)
 結局、多くの日本人が核と放射能に対してあまりにも無関心であったことが、彼らの"完全犯罪"を許してしまったのですね。「生きる」「七人の侍」という大ヒットに続いた作品であるにもかかわらず、この映画は記録的な不入りで興行失敗に終わったそうです。この傑作がヒットしなかったことに、戦後日本の病根を感じます。

 さて、言うまでもなく、福島で同じことが繰り返されようとしています。このダモクレスの剣に対して、喜一のように闘いを挑むのか、あるいは彼の家族のように無関心をきめこむのか。喜一の過激な行動は無理がありますが、寺田寅彦が言うように、怖がらな過ぎず、怖がり過ぎず、正当に怖がりたいと思います。そして、安倍伍長を筆頭に、福島でも"完全犯罪"を再現しようとしている輩に対して、監視を怠らないようにしましょう。喜一の絶望を思い起こしながら。高橋和巳の言です。
 より深い絶望のあり方を知ることは、根拠なき希望の走馬燈を百千ならべるよりも、おそらく有意義であろう。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2014-11-13 06:30 | 映画 | Comments(0)
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