『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』

c0051620_627536.jpg 先日、平日に代休がとれたので、さあ何して遊ぼう高砂屋とはしゃいでいたら、山ノ神に『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』という映画を見に行かないかと誘われました。マルタ・アルゲリッチか… 中途半端なクラシック音楽ファンなので、ドタキャン当然の奔放な、そして恋多き、かつ天才肌の女性ピアニストというどうしようもなくステロタイプ化されたイメージしかありません。持っているCDは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(指揮はリッカルド・シャイー)、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(指揮はキリル・コンドラシン)、そしてショパンのピアノ協奏曲第1番と第2番(指揮はシャルル・デュトワ)のみ。でもラフマニノフは、その情感にあふれたダイナミックな演奏ゆえ、愛聴しています。
 ようがす、つきあいましょう。朝一番、10:30だったら余裕で見られるとなめてかかり、大嫌いな渋谷にあるBunkamuraのル・シネマに参上したところ…中高年女性が長蛇の列をつくっておられました。やれやれこれほどアルゲリッチの人気が凄いとは想定外の事態。次回12:40の席はおさえられたので、「ヒカリエ」で鰻をいただいてきました。
 そしてル・シネマに戻って着席。まずは購入したパンフレットから、マルタ・アルゲリッチについての紹介を引用しましょう。
 1941年にアルゼンチンに生まれたが、のちにスイス国籍を取得、スイスで人生の大半を過ごし、3人の娘を授かっている。
 幼い頃から非凡な才能を発揮し、3歳の頃には耳で覚えた簡単なメロディをピアノで演奏。5歳から本格的にピアノを学び、8歳のとき、初めての演奏会でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番とベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を披露。55年にウィーンへ渡り、さらにピアノを学ぶ。57年、16歳にして数日間のうちにブゾーニ国際ピアノ・コンクールとジュネーヴ国際音楽コンクールの2つで優勝。そして65年、ワルシャワのショパン国際ピアノ・コンクールで優勝。その後、あらゆる著名オーケストラとの共演を果たし、世界中で演奏活動を行う。生活の拠点はヨーロッパで、ブリュッセル、ジュネーヴ、パリなどを行き来している。
 3人の娘とは、中国人音楽家ロバート・チェンとの間に生まれた長女リダ・チェン。指揮者シャルル・デュトワとの間に生まれた次女アニー・デュトワ。ピアニストのスティーヴン・コヴァセヴィッチとの間に生まれた三女ステファニー・アルゲリッチ。この映画は、映像作家である三女ステファニー・アルゲリッチのはじめての長編監督作です。偉大な音楽家アルゲリッチを描いた単純な映画ではなく、偉大だが規格外で厄介な母親とそれにふりまわされる家族を娘の目からとらえた映画だというのが面白かったですね。彼女が語っていますが、演奏旅行に連れ回されほとんど学校に行けず、家族そろっての食事など片手で数えられるしかない子ども時代だったそうです。そうした母親への反発と反抗。ステファニーはパンフレットの中でこう語っています。
 母はスターだが、大人になりきれない女性でもあり、常に迷いながら生きている。底なしの井戸のように満足を知らない人なのだ。そして自分の混乱や疑念の渦に他人を巻き込み、巻き込まれた方は迷子になるのに、本人はいつも簡単に出口を見つける。
 しかし自分が出産をして母となったことで、マルタを見る目が変化します。そして和解。父親がみな違う三人の娘とアルゲリッチが芝生に座って、とりとめもないことを愉しげに語らう最後のシーンが印象的でした。
 映画は、ステファニーが撮影した母アルゲリッチの日常的な姿と、若き日の姿、そして演奏する姿で織りなされています。「うーん、言葉にできない」と何度も語り、演奏会の緊張に苛立って「弾きたくない」と毒づき、ステージにあがると奔馬の如くピアノをかき鳴らすマルタ・アルゲリッチ。化粧っ気もなく、不摂生のためかぶくぶく太り、煙草をぷかぷか吸うマルタ・アルゲリッチ。忘れ難いのは、彼女の底なし井戸のように優しく慈愛に満ちた笑顔です。この素敵な笑顔を見るために、もう一度この映画を見たくなりました。そして彼女の生演奏もぜひ聴いてみたいものです。
by sabasaba13 | 2014-11-14 06:27 | 映画 | Comments(0)
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