オーストリア編(64):ヒンターエック(13.8)

 受付の小さな建物でクーポンを提示し、バスに乗り込みました。ツァー参加者は十数人、ガイドはブルース・ウィリスをちょっと太めにしたようなアントニオさん。さあ出発です。
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 心配していた天気ですが、だんだん青空がひろがってきました。天下無双の晴れ男、面目躍如と自画自賛。やがてぽこぽこっと飛び出た二つの岩山が見えてきましたが、アントニオさんによると、大きい方がドイツ領、小さい方はオーストリア領だそうです。昔はあそこにハーケンクロイツが掲げられていたとか。そしてバスはバート・デュルンベルク塩坑に立ち寄り、ここで三人のお客さんを降ろしました。どうやら違うツァーの方も同乗していたようです。ちなみにザルツブルクは「塩の砦」という意味ですが、その富の源泉となったのがここで採掘された岩塩でした。岩塩とは山の中にある塩のことで、地殻変動によって海が陸に閉じ込められた結果、生み出されたのですね。つまりかつてアルプスは海の底だったわけです。ここバート・デュルンベルク塩坑は、7000年以上も前から岩塩が採掘されていたそうです。
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 ドイツとの国境を越えると、山なみがだいぶ近づいてきました。そしてザルツブルクから一時間ほどでヒンターエック(Hintereck)に到着、ここからは急峻かつ羊腸の山道となるので一般車両は通行禁止。われわれも専用バスに乗り換えることになります。なお本当に本当に迂闊かつ無学だったのですが、ここはヨーロッパ全土にあった総統大本営の一つで、ヒトラーがヴォルフスシャンツェ(Wolfsschanze)の次に多くの時間を過ごした別荘、ベルクホーフ(Berghof)がかつてあったところなのですね。なおヴォルフスシャンツェは、現在のポーランド・マズーリ湖沼地帯にあったそうです。
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 以下、『ヒトラー戦跡紀行』(齋木伸生 光人社)を参考にして紹介します。このあたり一帯をオーベアザルツベルク(Obersalzberg)と言いますが、1923年4月、ミュンヘン一揆の直前にここを訪れたヒトラーはすっかりこの景色を気に入ってしまいました。その後、何度もここを訪れたヒトラーは、首相となった1933年に山荘を購入。ここが政務の中心となると、ベルクホーフ(Berghof)と名づけられ、大幅に改装されていきました。その後、ゲーリング、マルティン・ボルマン、シュペーアといったナチス幹部の別荘も次々と建てられ、第三帝国の中枢となっていきます。ん? アルベルト・シュペーア(Albert Speer)と聞くと、食指が動きます。軍需大臣として戦争を支えた有能なテクノクラート、そしてヒトラーが信頼した芸術家・建築家。ナチスの集会を演出したのはゲッベルスではなくシュペーアだという説もあります。彼についてはぜひ『夢と魅惑の全体主義』(井上章一 文春新書526)をご一読ください。そして敗戦後は」、戦犯としてニュルンベルグ裁判で禁固二十年の刑を宣告され、1966年に、刑期満了で出所しました。彼と比較したいのは、有能な官僚として戦争経済を構築した商工大臣岸信介です。強制連行も彼の立案ですね。彼は敗戦後、A級戦犯とされますが、1948年に不起訴釈放され、平和条約発効後公職追放が解除され、1953年の総選挙で自由党から衆議院議員に当選し、政界復帰を果たし、そしてご存知のように1957年に内閣総理大臣となります。シュペーアが出所する9年前ですね。やれやれ。そう、われらが安倍晋三伍長の祖父にあたるお方です。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2014-12-07 07:13 | 海外 | Comments(0)
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