オーストリア編(69):ザルツブルク音楽祭(13.8)

 後日談です。ザルツブルク音楽祭での決意どおり、オーストリア旅行から帰ってすぐに『戦争レクイエム』のCDを購入しました。指揮は小澤征爾、ソプラノはクリスティン・ゴーキー、テノールはアンソニー・ディーン・グリフィー、バリトンはマティアス・ゲルネ、演奏はサイトウ・キネン・オーケストラ、合唱はSKF松本合唱団・東京オペラシンガーズ・栗友会合唱団・SKF松本児童合唱団で、2010年ニューヨークにおけるライブ演奏です。
 この曲の成り立ちがたいへん興味深いものなので、紹介しましょう。伝統的なラテン語典礼文によるレクイエムの合間に、第一次世界大戦を詩で表現した戦争詩人(War Poet)の一人ウィルフレッド・オーウェンWilfred Owen(1893-1918)の反戦詩を織り込んだ構成になっています。彼らイギリスの戦争詩人たちを紹介したエッセイ『明け方のホルン』(草光俊雄 みすず書房)から引用します。
 1962年にイギリス中部の都市コヴェントリで新築された大聖堂セイント・マイケル教会の落成式が行われた。コヴェントリは工業都市で、軍事工場が多く、第二次大戦中ドイツ空軍の爆撃の最も激しかった町で、その大半は焼滅した。古くから町のシンボルとして聳えていた大聖堂も空爆によって破壊されてしまった。戦後、町の復興が進むにつれて大聖堂の再建も始まり、近代的な建物が、旧大聖堂の礎の横に建てられたのである。この完成の祝典のために、作曲家ベンジャミン・ブリテンが戦争で死んだ者たちを追悼するレクイエムの作曲を依頼された。この「ウォー・レクイエム」は通常のラテン語によるレクイエムの間にオーウェンの詩を挿入することによってそれまでのレクイエムの型を破るものであった。またブリテンの意図は戦死したイギリス人のみを追悼するものではなかった。コヴェントリの大聖堂の再建にはドイツから多くの基金が寄せられ、また逆に連合軍によってコヴェントリのように大打撃をうけたドイツの都市ドレスデンの再建にはイギリスからの援助が渡ったのだった。だからブリテンはイギリスのみならずドイツ、そして世界の戦没者を追悼するための曲を作ろうとし、オーウェンの詩を選んだのである。(p.100)
 ライナーノーツよると、ブリテンは初演のソリストを、ソ連のソプラノ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(ムスティスラフ・ロストローヴィチの妻)、イギリスのテノール、ピーター・ピアーズ、ドイツのバリトン、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとすることを初めから考慮して作曲したそうです。イギリス人、かつての敵国であるドイツ人、そして当時対立していたロシア人の歌手に独唱をゆだねることによって真の和解を願ったのですね。
 それでは曲に耳をかたむけてみましょう。不安な響きとともに戦死者の永遠の安息を神に祈る「永遠の安息(Requiem aeternam)」で曲は始まります。そして諧謔的な調べでウィルフレッド・オーウェンの詩を歌うテノール独唱。
 家畜のように死んでゆく兵士たちに どんな弔鐘があるというのか?
 ただ鉄砲の恐ろしい怒りのみ。
 どもるような音を立てる小銃の速射する騒音のみが 彼らのあわただしい祈りを早口に唱えてくれるのだ。
 そして戦場の悲惨、残虐、酷薄、兵士たちの怒り、絶望、悲哀、諦観をあますところなく音楽はつづっていきます。そこでは、神でさえも爆撃でばらばらにされながらも、兵士とともにこの悲惨を耐えています。
 この戦争では、主もまた四肢を失った。
 終曲の「われを解き放ち給え(Libera me)」では、死からよみがえった兵士が、自分を殺した兵士に「さあ、もう眠ろうよ」と静かに語りかけ、「彼らを平和の中にいこわせ給え」という合唱とともに静謐に曲は終わります。全身全霊を込めた、小澤征爾、ソリスト、オーケストラ、そして合唱団の熱演にはただ頭を垂れるのみ。
 そしてあらためて歌詞を読み直すと、胸に突き刺さるような言葉に出会えました。
 ぼくは語られざる真実のことをいっているつもりだ。
 戦争のあわれさ(The pity of war)を、戦争が抽出したあわれさを。

 脱落する者はいまい、国家が進歩から後退するとして。
 ぼくたちは、城壁のない見かけ倒しのとりでへと後退してゆくこの世の行進を見逃しているのだ。
 城壁のない見かけ倒しのとりでへと後退していかぬよう、時々この曲を聴き直して、曇りのない眼と頭を持ちたいものです。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2014-12-16 06:32 | 海外 | Comments(0)
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