オーストリア編(74):祝祭劇場(13.8)

 そしてお目当て、フェルゼンライトシューレ(Fersenreitschule)です。そう、トラップ一家が、音楽コンクールで歌ったところですね。もともとは大司教が乗馬競技を見学するためにつくられたもので、メンヒスベルクの岩盤をくり抜いた見物席がそのまま残されています。かつては野外劇場でしたが、今では開閉式の屋根がついています。それにしても、切り立つ岩盤と、そこに穿たれた数多のアーチ、凄い迫力です。いったいどんな響きなのだろう、いつの日にかここでオペラを見て聴いてみたいものです。
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 なおコンサートの準備に余念がないスタッフの方々の働きぶりも心に残りました。敬意を表して写真を撮らせていただきました。
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 これでツァーは終了です。まだ時間があるので、モーツァルトの生家にも寄りましょう。1756年1月27日、この建物の四階でヴォルフガングは誕生し、1773年にマカルト広場の家に引っ越すまでここで暮らしました。二階で入場券を購入し、四階にある展示室へ。彼が使用した楽器や自筆の手紙・楽譜などを拝見しました。旧市街の住人はほとんど聖職者で占められていましたが、モーツァルト一家がここに住めたのは、父レオポルトが宮廷副学長だったためだそうです。
 なお写真撮影は禁止ですが、ちょっと愛らしいトイレ男女表示くらいはいいでしょう(たぶん)。
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 そしてザルツァッハ川を渡ってマカルト広場にあるモーツァルトの住居(Mozart Wohnhaus)へ。ここは日本生命の多額の寄付によって、当時の姿で再現されたものです。それを記したプレートが掲げられていました。展示は解説が中心でしたが、やはり写真撮影は禁止。
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 でも洒落たトイレ男女表示くらいはいいでしょう(たぶん)。
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 そして1781年 3月、25歳のモーツァルトはザルツブルク大司教の命令でミュンヘンからウィーンへ移りますが、大司教と衝突して解雇され、ザルツブルクを出てそのままウィーンに定住することになります。その時点まで一家と彼はこの家に住んでいたのでしょうか。ご教示を乞う。
 なおモーツァルトを「天才」という一言で片づけてよいのか、疑問を持っておりました。これについては、以前書評に書いた『モーツァルト 天才の秘密』(中野雄 文春新書487)というたいへん面白く興味深い本がありますので、かいつまんでその「天才」の秘密を紹介します。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2014-12-21 06:35 | 海外 | Comments(0)
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