鼓童(1)

 和太鼓の演奏集団、「鼓童」のコンサートが文京シビックホールでおこなわれるという情報を入手、常々聴いてみたいものだと思っていたのでさっそくチケットを購入しました。なお私はてっきり「鬼太鼓座(おんでこざ)」が「鼓童」と改名したのかと思っていたのですが、これが勘違いでした。まず鬼太鼓座の成立については、越後編でも書きましたが、わが敬愛する宮本常一がからんでいます。早稲田大学を血のメーデー事件で放校された田耕(でん・たがやす 本名:田尻耕三)が、渋沢敬三邸に居候していた宮本常一を訪ねたのが1956(昭和31)年のこと。彼の書『海に生きる人びと』を読み、日本にも昔から民主主義があるということをやさしい言葉で教えられたためでした。宮本の影響で全国の離島を無銭旅行した田が、佐渡で出会ったのが、古くから伝わる和太鼓芸能・鬼太鼓でした。十年後、宮本のもとに田から、「鬼太鼓座という若者芸能集団をつくり、伝統芸能の復活を通して佐渡の若者たちに自信を回復させたい」という電話がかかってきました。以後、宮本は佐渡に行くたびに彼らを励まして回ったそうです。
しかし1981(昭和56)年、田耕は「鬼太鼓座」メンバーと別れ、一人佐渡を去ってしまいます。その際に田耕は「鬼太鼓座」の商標権と太鼓道具等を引き上げ、新しい鬼太鼓座で活動を始めたため、名称を「鼓童」としました。そして新たに楽器購入にあたり地元佐渡の銀行から融資を得て、佐渡の小木を根拠地として現在に至ります。
 なお分裂の理由についてはよく分かりません。音楽に対する意見の相違なのか、あるいは佐渡に対する思い入れの差なのでしょうか。それはともかく初めての和太鼓演奏、「鼓童ワン・アース・ツアー2014」、楽しみです。

 開演は天長節の午後二時、場所は文京シビックホール。雲一つない快晴、気温もそれほど低くはないということで、山ノ神とちょっとしたデート気分にひたれる計画を立ててみました。まずは「神田まつや」で蕎麦をたぐり、秋葉原でメイド喫…もといっ、電気屋によってイサム・ノグチの「あかり」を物色。中央通りを歩いて北上し、「うさぎや」でどら焼きを購入。春日通りを西行して湯島天神に寄って、知りあいの受験生のために御札を入手。歩いて文京区役所へ行き25階の展望ラウンジで東京を睥睨し、併設されているレストラン「椿山荘」でコーヒー・ブレイク。そして区役所内にあるシビックホールに入場。いやあ、渋いなあ、大人だなあ、侘び寂びだなあ、偕老同穴だなあ。
 さて当日です。「神田まつや」と言えば池波正太郎も足繁くかよった名店、昼時には長蛇の行列が予想されます。よろしい、午前11時の開店と同時に入って、つつっと蕎麦をたぐり、店の前に連なる行列を尻目に旗本退屈男のように(なんだそれは)颯爽と去りゆくというシナリオは如何。というわけで地下鉄丸ノ内線淡路町駅から地上に出たのが午前10時58分…白旗をあげましょう。もう長蛇の行列が出来ていました。堪え性のない私、以前にも食べたことがあるし、ここは撤退して「肉の万世」に行こうかと山ノ神に秋波を送ると、彼女はここで食べる気満々。引くところは引いて押すところは押さないのが、夫婦円満の秘訣。ようがす付き合いましょう。古い建物の佇まいや「受聞新便郵」を眺めながら待っていると、三十分ほどで中へ導かれました。
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 もちろん相席、さっそく天もり(山ノ神)、大天もり(宿六)、そして季節限定「冬至そば ゆずきり」(シェア)を注文。あっという間にたいらげましたが、葛をねりこんだ蕎麦は香りといい舌ざわりといいなかなか美味でした。
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 なおこの神田須田町界隈は、鳥のすきやき一筋の「ぼ多ん」、汁粉屋の「竹むら」、鮟鱇料理の専門店「いせ源」、火事による焼失から再建された「かんだやぶそば」、漱石も食したかきあげの「松榮亭」、昭和初期より続く喫茶店「ショパン」、下町に根づいた「近江屋洋菓子店」、明治35年創業の「神田志乃多寿司」といった古武士のような老舗が犇めいております。
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 またこのあたりは空襲をまぬかれたようで、山本歯科医院や二匹のけったいなライオンを戴く看板建築などレトロな物件が散見されます。
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 それでは万世橋を渡って秋葉原へ参りましょう。中学・高校・大学の頃は、石丸電気でよくレコードを買ったものですが、それ以来とんと御無沙汰しております。その石丸電気もヤマギワ電気も今はなく、すっかり様変わりしてゲームとアニメとメイドの街になってしまったかのようです。記念にメイドの顔はめ看板を撮影。肝心の「あかり」は結局見つかりませんでした。
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 中央通りを北上して「うさぎや」でどら焼きを購入。そして春日通りを西行して湯島天神へ、知人のために「入試突破」鉢巻を買いました。
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 さらに歩いていくと、「サッカー通り」というけったいな名の通りがありましたが、その先に日本サッカーミュージアムがあるからなのかな。バイクに跨ったサンタクロースと、啄木が下州をしていた喜乃床跡を撮影。このあたりは以前に啄木・賢治・一葉の関連物件めぐりをしたことがあります。よろしければ本郷編をどうぞ。
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 そしてゴールの文京区役所に到着、とるものもとりあえず25階の展望ラウンジへのぼってみました。スカイツリーや筑波山がよく見えましたが、残念ながら富士山は雲と靄でかすんでいました。開演時間も迫ってきたので珈琲はカット、区役所に併設されているシビックホールへと向かいましょう。
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by sabasaba13 | 2014-12-29 08:00 | 音楽 | Comments(0)
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