鼓童(2)

c0051620_7324299.jpg 前置きが長くなりましたが、いよいよ鼓童の演奏の始まりです。休憩十五分をはさんで約二時間の公演、心の底まで堪能致しました。大きな和太鼓を力いっぱい目いっぱい打ち鳴らす、ドライブ感と迫力にあふれた演奏のみ…と勝手に思い込んでいたのですが、さにあらず。銅鑼や仏具などさまざまな打楽器に笛や鉄琴も加わり、コンテンポラリー風のダンスもおりまぜた、モダンな演奏でした。音の強弱やテンポの緩急の使い分け、音のニュアンスへのこだわり、聴衆に音楽で感興を与えようとする姿勢がよく伝わってきます。メンバーの前田剛史氏が"以前の鼓童というのは、歯を食いしばって、汗を飛び散らせながらデカい音を出してなんぼみたいなところが少なからずあった"とプログラムに書いておられましたが、芸術監督に迎えた坂東玉三郎氏の影響で変化したようです。プログラムから彼の言を引用します。
 そして私は、将来に向かって音楽性を重視した太鼓というものが何であろうかと考えていたのです。それは打ち手が、作曲家の意図に忠実に、速度や強弱等が十分に制御されそして抑制されていなければならないということでした。自由な表現というものは、それらの事柄が制覇され、打ち手が客観性を持って初めて成し得ることだと気が付いたのです。そして何よりも、太鼓で奏でる音楽を聴衆が「長い時間聞いていても心地良いと感じてくれること」に最大の目的を持っていかなければならないと考えたのです。
 はい、その意図は十分に達成されていたと思います。変化に富んだ演奏で、まったく飽きずに心地良く音楽を楽しめた二時間でした。やはりパブロ・カザルスが言ったように、音楽の最大の敵は単調さなのですね。とは言っても、やはりffの迫力は凄かった… 心が、体が、ホールが、空気が、地球が、宇宙が、太鼓の鼓動に共鳴し打ち震えました。これがカタルシスなのですね、心身に積りに積もった日々の澱がきれいに洗い落され、生まれ変わったような爽快感を覚えました。これはくせになりそう、ぜひまた聴きにきたいものです。

 帰途、池袋の西武百貨店に寄り、「たいめいけん」のカレーと「華鳥」のとり天中津からあげを購入。家に帰っておいしくいただきました。前者は値が高いのでもう買うつもりはありませんが、後者はほんとうに美味でした。素晴らしい音楽、美味しい食べ物、楽しい散歩、ほんとうに良き一日でした。

 ふと思いついたのですが、エル・システマ日本版をつくってはいかが。心に闇を抱え、貧困や孤独に悩み、暴力やドラッグに走りそうな子どもや若者たち、彼ら/彼女らが集まって仲間とともに太鼓を打ち鳴らせば、とてつもなく豊かな精神世界にふれられ、喜びと希望をもてるようになるのではないでしょうか。
by sabasaba13 | 2014-12-30 07:33 | 音楽 | Comments(0)
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