オーストリア編(89):ザンクト・アントン(13.8)

 そして標高2811mのヴァルーガ山展望台(Valluga-Gipfel)に到着です。おお素晴らしい、円形の展望台は文字通り360度の大パノラマ。雲が多いのが無念ですが、アルプスの山々を手に取るように一望できます。
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 ガイドブックによると、良く晴れた日には、北にはドイツ、南にはスイスとイタリア、西にはリヒテンシュタインの四カ国が遠望できるそうです。それにつけても、こんな雄大な大自然を目の当たりにすると、そこにせっせせっせと国境を線引きする人間の営為が卑小なものに思えてきます。そして国境線をめぐって、いかに多くの戦いが行なわれ、いかに多くの人びとが殺し殺されたか。想像するだけで慄然とします。なお帰国後に読んだ『ナショナリズム入門』(講談社現代新書2263)の中で、植村和秀氏はこう指摘されていました。
 近代国家とは、特定の地域をきめ細かく支配するための政治的な仕組みです。それゆえ地域単位でネイションを形成する場合には便利なのですが、人間集団単位での形成にはなじみにくいものです。もしも人間集団がまとまって暮らしているのならば、どうにかなるでしょう。しかし、例えば旧ユーゴスラヴィアの場合のように人間集団があちこちに散在し、他の集団と混住している場合には、すり合わせ困難となります。自国の境界線を引くことは、近代国家にとって最も重要な作業です。それは要するに、一筆書きの線の中に対象を入れる作業ですが、人間集団単位でのネイション形成は、この線引きとの相性が悪いのです。
 けれども、近代国家を作らなければ、その人間集団は衰滅の危機に直面します。戦争や内戦で敗北し、集団として壊滅させられたり、別のネイションに呑み込まれたりするからです。それゆえ、さまざまな人間集団がその存続を目指して、近代国家を作ろうとします。相性が合わないからといって、近代国家を持たないというわけにはいかない、ということです。(p.18)
 なるほど。特定の人間集団と領域を囲い込んで、強力無比な戦争機械/産業機械をつくりあげる近代国家が生まれると、それに対抗して周囲の人間集団も近代国家をつくらざるをえなくなるわけか。チロル・アルプスの荘厳な山塊を眺めながら、近代国家やネイションについてもっと考えなければいけないなと思いました。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2015-01-17 08:05 | 海外 | Comments(0)
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