『詩歌と戦争』

 『詩歌と戦争 白秋と民衆、総力戦への「道」』(中野敏男 NHKブックス1191)読了。植民地主義と民衆の関係、そして北原白秋の童謡がそれにどう関わってきたかを論考する魅力的な一冊です。植民地帝国=日本の拡大という時代の趨勢に乗りながら自ら植民地主義を担って日本の外に移動していく民衆たち。それは経済的・社会的なチャンスをものにしようという渇望と野心に満ちながらも、異郷に向かう大きな不安に苛まれるものでした。そこにわだかまる不安は、やがて立ちふさがる他者への不信や敵意につながり、この他者への蔑視や偏見を生み出し、それがまた倒錯した被害者意識にも結びついて、その極限では攻撃的な暴力として爆発していく。関東大震災における、民衆が行なった朝鮮人虐殺はその一例ですね。この時代の民衆が北原白秋の童謡に深く心を揺さぶられた理由もここにあると、著者は分析します。異郷に向かう植民者・移住者たちがその不安ゆえに白秋童謡に表現された郷愁に強く惹きつけられ、そこに示された「優しさ」や「童心」に日本人の本質を見出すことで癒される、そんな心情の機制がそこに作動していた。この震災を前後する文化史の流れの底には、植民地主義と移動の時代に翻弄されている日本民衆の心情の強い不安や揺らぎが、確かに読み取れるというのが中野氏の論考です。(p.97~8)
 これだけでも十分に興味深いのですが、本書の白眉は何と言っても結語の部分。植民地主義を「犠牲やリスクを不平等に配分する差別的な秩序」と捉え、それが戦前戦後、そして現在までも日本社会と日本人の心に埋め込まれ続けていることを鮮やかに述べられています。書評の風上にも置けないあまりにも長い引用ですが、ご海容ください。ぜひ紹介して一人でも多くの方に読んでほしいと思います。
 この「基地国家」は、冷戦状況下での他国の独裁政治や戦争を自国にとっては好都合な前提条件とし、そこで特別に生まれる営利チャンスを自国経済の成長のステップにしてきていて、その意味でこの国家は、独裁と戦争に寄生する「経済成長」志向だったと見なければなりません。そうだとすれば、日本国内でのみ通用する「戦後平和主義」とは、そしてそれを肯定する「戦後」意識とはいったい何だったのでしょうか。
 すでに見たように、郷愁の抒情が成立する背景にあった日本民衆の海外への進出や移民は明治初年から始まっていたのですが、そのような移動や移民をともなう日本の対外関係がすべて植民地主義だったというのではありません。しかし、ハワイや北米、南米への移民が行き詰まりを見せた頃から、それに代わるように本格化していったアジア地域への進出や移民は、明らかにそれまでと性格が変化しています。すなわち、ここでの進出や移民は、軍事力や経済力に支えられた日本国家の覇権的な勢力圏拡張を有利な後ろ盾とし、被植民者である他者を押しのけて植民者=日本人だけが特権的地位を享受しうる差別的な状況を都合よく利用するという、政治寄生的で投機的な性格を間違いなく持っていたのでした。このような他者との関わりを「民衆の植民地主義」と理解するならば、こんな意識からのアジアへの進出や移民の形は、大規模な国策移民となった「満州開拓移民」に到るまでずっと続いていたと認めなければなりません。この民衆の植民地主義と、それを支持し積極的な担い手となった多くの日本民衆が存在しなかったならば、日本国家の植民地支配もそれを拡張しようとする戦争も実際には遂行不可能だったわけです。本書でそれを追跡してきたわたしたちは、この終章でさらに戦後日本にまで視野を広げ、ここでも冷戦下の覇権主義的な政治状況を営利チャンスとして利用する、同様に政治寄生的な経済活動の継続を確認しているのです。とすれば、この「戦後」の事態も、やはり植民地主義であると言わなければならないのではないでしょうか。
 もちろん、このように「戦後」にも継続している植民地主義は、以前のような領域支配としての「植民地支配」と理解することはできません。しかしこの時代には、冷戦状況に対応する東西両陣営の覇権的な軍事力と経済力を後ろ盾として、戦争と平和が、そして独裁と民主主義が、かつての植民地帝国の地勢図に沿うように差別的に配置されていて、ここに犠牲やリスクを不平等に配分する差別的な秩序が構成されていたと認められます。このような差別的な秩序をいわば好都合な「植民地」とし、その条件の上に、基地国家=日本の「平和」も「民主主義」も「経済成長」も成立していたのであり、それを肯定して参与しそこで営利し生活してきた限りで、日本に一般的な「戦後」意識にもこの差別的な秩序に寄生する植民地主義の精神が生き続けていたと考えねばならないのです。
 21世紀に入った今日では、「戦後」と言われる時代もすでに60年を超える歳月が過ぎ、世界の冷戦構造も確かに大きく変容しました。すると、このような状況変化を受けて、ここで見た「戦後」に継続する植民地主義がすでに清算されているかと考えると、それはなお疑わしいと言わざるをえません。そうした継続する植民地主義の精神状況については、日本軍「慰安婦」問題を始めとして、過去の植民地支配や戦争の加害にかかわる責任追及と被害補償がいまなお未決算であり、またその植民地支配の結果として日本に住んでいる在日朝鮮人やその家族に対する差別・排外的な処遇も依然として持続している現実が、まず今日の実情をよく示しています。それに加えて現在では、東日本大震災を前後して大きく問題化した二つのことが、あらためてその現状を厳しく照らし出すことになりました。
 その二つとは、ひとつは、普天間基地移転が焦点化する中であらためて問われている沖縄の過重負担という問題であり、もうひとつは、震災にともなう福島第一原子力発電所の事故に端を発した深刻な原子力災害のことです。わたしたちはいま、戦後に植民地主義の継続を考える際に、この戦後世界に作られていた「犠牲やリスクを不平等に配分する差別的な秩序」の存在に注目しました。ここではそれをまずは冷戦状況下での東アジア地域の国際関係に即して見たのでしたが、そのような「犠牲やリスクの不平等」という差別はそれに限らず、「基地国家」とされるこの国の内外にさまざまに組織され、あるいは再編されて持続してきたと考えなければなりません。その中でも、過重な基地負担を強いられ続けている沖縄の問題と原発リスク負担を引き受けてきたフクシマの問題は、現在の日本社会にとって存立の基盤そのものに関わる、負担の深刻な差別的秩序の存在を露呈させたのでした。軍事基地の負担を沖縄に集中し、エネルギー供給に関わるリスクをフクシマその他に集中さしていればこそ、今日まで日本の他の地域の人々は、日常的にはそんな負担やリスクを意識しないままに「平和で豊かで安全な日本」であるという中央中心の自己認識をずっと維持してこられたわけです。そうであれば、これもまたひとつの植民地主義と言わねばならないのではないでしょうか。
 このように考えてくると、東日本大震災を経た今日、この日本は確かにひとつの大きな曲がり角に立っているということが分かります。大地震そのものは天災でしたが、それが重大な犠牲を強いつつ暴露してしまった事態は、「犠牲やリスクの不平等」を生むこんな差別的秩序に依存して進められてきた戦後日本の「経済成長」路線、この意味で植民地主義に立脚するこれまでの拡張路線の、手酷い破綻であるに違いありません。(p.285~8)
 ドストエフスキー的鉄槌でした。韓国併合、満州開拓移民、大東亜共栄圏、朝鮮戦争とヴェトナム戦争の特需による経済復興・経済成長、アメリカの施政権下に置かれ不沈空母にされた沖縄、韓国と台湾の軍事独裁政権、戦争責任の未決算、在日朝鮮人への差別、そして沖縄の過重負担と福島の原発事故。個別には知っているつもりでいたこうした事象が、「犠牲やリスクを不平等に配分する差別的な秩序」というキーワードで一つにつながりました。そうか、そう考えればいいんだ。戦後日本を「平和ボケ」として非難する人にも、あるいは「平和国家」として称揚する人にも、ぜひ読んでほしい一冊。私もこの言葉を軸に、近代日本の歴史を見直していきたいと思います。
by sabasaba13 | 2015-02-06 06:33 | | Comments(0)
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