『日本はなぜ原発を輸出するのか』

 『日本はなぜ原発を輸出するのか』(鈴木真奈美 平凡社新書)読了。鈴木氏は、以前に拙ブログで紹介した『核大国化する日本』(平凡社新書336)を書かれた方で、核や原子力に関する問題を調査し追及されているジャーナリストです。
 さて、福島原発事故の原因究明や責任の追及も十分になされず、いまだ事故収束の見込みもたたず、周辺住民の健康被害への対処も等閑にされ、被害への補償の目処もたっていないのに、なぜ自民党や政府は原発の輸出に拘るのか。その答えは、原子力産業の維持と“国産”の原子力技術の保持にあるというのが、著者の結論です。以下、引用します。
 濃縮技術の拡散に対する世界の目は厳しくなる一方だ。商業的にはほとんど機能していない六ヶ所村濃縮工場を日本が保持することに対し、海外から疑義が出ても不思議ではない。日本政府は世界から非難されることなく濃縮技術を持ち続けるため、同工場は国際的な核燃料供給保証に活用可能であることを、この備蓄事業を通じてアピールし、それを既成事実化してしまいたいのだろう。(p.112~3)
 原子力プラント建設や核燃料供給による利益のために、原発再稼動を強行しようというのが自民党や政府の狙いのようです。さらに世界で原子力プラントの供給能力をもつ国々は一握りしかなく、その特権的なポジションを獲得するため(p.231)。そして核兵器製造の潜在的な技術やノウハウを保持するためでもあります。NPT体制の下で、日本のような「非核兵器国」が核兵器製造に直結する核燃料サイクル技術を、世界から掣肘を受けないように保持するには、国内に一定規模以上の原子力発電を商業規模で維持する必要があるからですね。核兵器製造能力を隠すためのイチジクの葉っぱということですね。やれやれ、こうなると核兵器廃絶を提唱する日本政府の姿勢も眉唾に聞こえてきます。著者によると、1961年から2009年までの約50年間で国連の核軍縮決議に対する賛成率は平均55%、1980年代には30%の年もあったと記録されているそうです(p.217~8)。

 そして鈴木氏は、核エネルギー利用を拡大し続け、さらには福島原発事故を引き起こした日本人は、地球全体からみれば加害者であると強く主張されています。とくに海洋への意図的な放射能放出と現在も続く垂れ流しは、現世代だけでなく将来世代に対しても、地球規模の放射能汚染を強要することになってしまいました。被害者として、加害者として、私たちは核エネルギー依存から抜け出す道を切り開いていかなければならない。そして世代を超える、これほど重要な問題を、いつまでも少数の閣僚たちによる決定に委ねておいてはならない。どのようなオルターナティブがありうるかを含め、開かれた議論が必要であると締めくくられています(p.228~9)。
 また胡散臭い話として、海外の新規原発建設の事前調査に投入されている納税者の金の不可解な使途についての指摘がありました。ベトナムのニントゥアン第二原発建設計画の事業化可能性調査(フィージビリティ・スタディ)に関わる2011年度分予算は、なんと東日本大震災復興予算の一部があてられたそうです。原子力輸出による利益は東北にも還元されるという理屈ですが、被災者・被害者の方々を愚弄する行為ですね(p.113~4)。

 なかなかメディアが伝えてくれない裏の事情がよくわかりました。あらためて原発再稼動の中止と一刻も早い全原発の廃棄を求めます。ただこの問題は、原発の可否という視点からだけでなく、もっと大きな視点、中野敏男氏言うところの「犠牲やリスクを不平等に配分する差別的な秩序」という視点からも考えるべきだと思います。原発の輸出や再稼動などによって、とてつもない犠牲やリスクを押しつけられる人々の視点が欠かせないのではないか。原発周辺に暮らす人びと、輸出先の国に暮らす人びと、原発労働者、ウラン鉱山の労働者、そして放射能や核廃棄物を押しつけられる将来の世代。一部の特権階級のために、多くの人びとに犠牲やリスクを押しつけるシステム。ここからいかにして脱却するか。みんなで議論をし、考えていきたいものです。
by sabasaba13 | 2015-03-25 06:25 | | Comments(0)
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