北海道編(36):納沙布岬(13.9)

 もう一つは「高碕達之助先生顕彰碑」、うーんどこかで聞いたことがあるなあ。頭の片隅にある受験日本史引き出しを開けると…ありました。たしか廖承志との間で日中総合貿易協定、いわゆるLT貿易の調印にあたった方ですね。なぜこの地に彼の顕彰碑があるのかについては不明です。ご教示を乞う。なお廖承志については、以前に日中友好会館で銅像を拝見しました。そして、本土最東端の納沙布岬の先端に屹立する納沙布岬灯台へ。ずんぐりむっくりとしたユーモラスなお姿に山ノ神を思い出し、思わず緩頬。
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 なお解説の一文がありましたので、転記しておきます。
 北海道の東端に位置する納沙布岬に灯台ができたのは、明治三年開拓使判官松本十郎が難破船の帆柱を利用して灯竿(標木)を建てたのが始まりで、翌年、工部省の山尾庸三と英国人設計士アール・Hブラントンが納沙布岬に出向き設計・指導のもと同五年に木造六角形の高さ十三メートルの灯台を完成した。昭和五年には、現在の灯台に改築され今なお納沙布岬で点灯している。
 へえ、初代の灯台はヘンリー・ブラントン設計だったのか、現存していないのは惜しいですね。スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
Richard Henry Brunton (1841-1901) イギリスの技術者、幕末・明治初期のお雇い外国人技術者。スコットランドのアバディーンシャーに生まれる。父は船長であった。私立学校卒業後、鉄道工事の見習技師となり各地の工事に従事した。その後、徳川幕府の依頼を受けたスティーブンソン兄弟の斡旋で1868年(慶応4)来日し、本格的な洋式灯台の建設に携わった。さらに新時代の工学知識と西欧技術を多方面からの依頼に応じて発揮し、鉄道建設の必要を建言のうえ、まず東京―横浜間の鉄道敷設を説いた。また、横浜にあった鉄の橋の吉田橋の架設や横浜居留地の公園計画、下水道敷設などを行った。横浜の都市づくりに多くの提案を残し、76年(明治9)帰国した。
 余談ですが、後日に読んだ『イザベラ・バードと日本の旅』(金坂清則 平凡社新書754)に、ブラントンが登場していました。本書によると、彼が編集した縮尺約126万7000分の1の日本地図が、わが敬愛するイザベラ・バードの旅にとって不可欠のものであったそうです。バードの旅を立案したヘンリー・パークスが、その準備の一環としてブラントンに作成を命じた可能性が高いと、金坂氏は推論されています。(p.167~9) ブラントンが書いた『お雇い外人の見た近代日本』(講談社学術文庫)という本の存在も知ったので、ぜひ読んでみます。なおこの岬から、歯舞群島の貝殻島や水晶島、そして国後島などが見えるそうですが、曇天のため視界が悪くおぼろげな島影しか見えませんでした。
 また灯台の脇には「納沙布岬野鳥観察舎(納沙布岬ハイド)」が併設されており、中に入るとスリットから野鳥を観察できるようになっていました。一羽も見えませんでしたが。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-04-09 06:34 | 北海道 | Comments(0)
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