北海道編(43):釧路(13.9)

 定刻の16:35に列車が到着、根室本線を一路釧路へと向かいました。
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 なおこの根室本線も「タコ」たちの過酷な労働によって建設されたことが、『常紋トンネル』(小池善孝 朝日新聞社)のおかげでいまわかりました。『厚岸町史』(1975)には、「警察の沿革史では、『根室線工事第四、第五工区(釧路・厚岸間で、共に荒井組)労役者より脚気患者二百名発生し、内九拾六名死亡せり』とあり、記録されないものを考え合わせると相当な数になり…」「重労働に対する食事は粗末なものであった。過労と栄養失調、特に厚岸の場合は泥炭地の川水を飲料水に使い、そのために病気になるものが続出した。このような土工夫を休ませることはせずに働かせ、その結果、死亡者は連日のようにでて、箱やかますに死体をかつぎ出される様子を見た街の人々は、『今日も鮪が通る』と語り合った」とあるそうです。(p.66~7) また門静(もんしず)駅近くの石山は良質多量の石材を産し、ここではタコに加えて強制連行された朝鮮人や中国人が苛酷な労働をさせられたそうです。
 ここで、この石山で使役された中国人・朝鮮人についてふれてみる。太平洋戦争中、中国本土で「兎狩り」と称する「労工狩り」で拉致され、日本へ強制連行されて強制労働させられた中国人3万7524人のうち、釧路の菅原組は784人を四つの事業所(門静採石所・幌内詰所・函館出張所・小樽市内除雪作業場)で使い、55人を死亡させた。そのうち門静には388人が連行されて18人が死亡した。
 朝鮮人強制労働の実態を調べている釧路市民会議の話によると、1943、44年ごろ、門静でトーチカづくりのための石切り作業などで、釧路地方へ強制連行された朝鮮人は数千人といわれ、石切り場の飯場や集結地でチフスが発生して死亡者が出たという。
 強制連行・労働で死んだ朝鮮人の死亡者数は、ほとんどわかっていないのが実状で、葬式をあげたところなどまれで、墓にいたっては皆無にひとしい。門静石切り場で死んだ中国人・朝鮮人の遺骨も、いままでのところ未確認で、供養されていない。
 戦時中、門静で石工として働き、中国人・朝鮮人が埋められた場所を知っている菊地俣八さんはこう語る。
「石山では中国人・朝鮮人が1000人ぐらい働いていた(中国人が388人だから、600人ぐらいが朝鮮人か)。鬼島組っていう下請けは、相当いじめていた。私もコゲ飯を中国人にやったのを見つかって、あぶなく殺されそうになった。石の粉で珪肺病患者が多く出た。中国人・朝鮮人の死者は、石山から海岸へ出る鉄橋の下に埋めたといわれています」
 鉄道工事から約六十年、強制連行・労働から三十数年たった現在、厚岸町では、この地で空しく死んでいった人々の遺体を発掘し供養しようという動きが、地元の大笹・平良木さんや教師の館忠良・竹ヶ原秀三知・秋間達男氏らを中心に進められている。(p.72~3)
 バスの車窓から見えたトーチカも、彼らによって切り出された石で作られていたのですね。落石駅のノートにあった「恨」という一文は、もしかすると石山を訪れた中国の方が書き残されたものかもしれません。なお以前に訪れた室蘭にも、強制連行されて死亡した中国人の方々を慰霊する「中国人殉難烈士慰霊碑」がありました。
 18:51に釧路駅に到着。まずは阿寒バスに電話をして「ノロッコ号とバスでの釧路湿原めぐり」をキャンセル。そして釧路のご当地B級グルメ、「スパカツ」を食べにレストラン「泉屋」へ。スパゲティ・ミートソース+トンカツというキッチュな一皿ですが、楽しみにしていました。ところが、店の入口には長蛇の列ができており、並んでいる若者たちが傍若無人な大騒ぎをしています。これはいたたまれない、退散して違う店をさがすことにしました。料理店を物色しながら駅方面へぶらぶら歩いていると、ほの暗い路地の先にレストランらしき明かりが見えました。霊界アンテナで何かを感じて行ってみると、洋食店「スコット」というお店でした。さっそく中に入り、メンチカツを注文。これは大当たり、クリスプなころもとジューシーなお肉の見事なマリアージュ。値段も手ごろだし、旦那さん・おかみさんの笑顔も素敵だし、素晴らしいキッチンでした。ぜひ紹介しましょう。釧路市末広11-1、電話0154-22-8588、「キッチン スコット」です。ぜひご愛顧を。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-04-22 06:25 | 北海道 | Comments(0)
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