重森三玲の庭編(6):重森三玲記念館(14.3)

 待っていてもらったタクシーに乗り、数分ほど走ると吉備中央町吉川公民館に着きました。まずは館内にある展示室で、三玲の代表的な庭の写真を見学。岸和田城天守から見下ろした「八陣の庭」は凄い迫力です。
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 おっ、重森三玲とイサム・ノグチのツー・ショットだ。胡坐をかいて余裕綽々の三玲、正座をして緊張気味のイサム・ノグチ、その対比が面白いですね。パリにあるユネスコ本部の作庭をイサム・ノグチが設計するにあたり、三玲にアドバイスを求めたときの様子なのでしょうか。
 係の方に「天籟庵」を見せていただきたいと申し出で、案内してもらいました。まずは重森三玲記念館で、彼の書などを拝見。
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 こちらに二人の関係についての解説があったので、転記します。
 重森三玲とイサムノグチが活躍した第二次大戦直後。世界は戦後復興の象徴となりうるべき芸術の様式を模索する一方、科学技術の進歩による都市空間や建築空間の創造が新たな台頭を見せていたとも言えます。
 伝統と近代合理主義の邂逅を無視することなく、新たな創造へと向かっていった異なるジャンルの芸術家は、太平洋を超え、日本の庭園文化の上で出会うこととなりました。
 自らのルーツに関わる日本文化への傾倒は1950年代にピークを迎えます。
 パリ、ユネスコ本部の作庭をイサム・ノグチが設計指導するにあたり、当時日本庭園の作庭家として、最も石組造形力のある三玲にアドバイスを請いたいという希望により、二人の出会いが実現致しました。
 1957年その素材を探すために来日した彼は、すぐさま重森三玲の門戸を叩いています。
 当時の三玲は、古庭園の全国実測調査、様式による庭園史の確立、またそれらによって得られた造形美の把握から、近代における庭園意匠の改革をおこなうなど、創作活動においても先進的な活動を見せていました。このことから、分野は違えども二人のような進歩的な芸術感性を持った人からの庭園観は、近代の外部空間を作る上において、魅力的な価値観であったと思われるのです。


 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2015-07-09 06:30 | 山陽 | Comments(0)
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