スイス編(10):ル・コルビュジエ・ハウス(14.8)

 車窓を流れる風景を楽しんでいると、ショー・ウィンドウに目玉兄い・姉御が並んでいました。
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 Hoschgasseという停留所で降りて、チューリヒ湖の方へ数分ほど歩けば「ル・コルビュジエ・ハウス」に到着です。拙ブログにも書いたのですが、以前にグリンデルワルトでスキーをした時に、立ち寄ったことがあるのですが、冬季休館でした。ガイドブックには7~9月の土・日曜14:00‐17:00開館とありますが、インターネットで事前に調べたところ、水曜日から日曜日までの12:00‐18:00開館でした。コルのファンが増えたということでしょうか。それではスーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
ル・コルビュジエ  Le Corbusier (1887‐1965)
 スイス出身のフランスの建築家、画家。本名はジャンヌレCharlesEdouard Janneretで、10月16日ラ・ショー・ド・フォンに生まれる。同地の美術学校に学んだのち、ペレやベーレンスの事務所で短期間働いたが、建築はほとんど独学。
 1917年からパリに定住し、20年代から本格的に活動を開始する。まず画家オザンファンと『エスプリ・ヌーボー』誌によりピューリスム(純粋主義)の運動を主張、旺盛な執筆活動のかたわら、絵画ではキュビスム風の静物画に基づき、さらに形と色の整頓された作品を描いている。
 『エスプリ・ヌーボー』の論文は、のち『建築をめざして』(1922)、『ユルバニスム』(1924)にまとめられ、また具体的に都市のスケールで計画した「現代都市」(1922)、「パリのボアザン計画」(1925)などによって、国際的な合理主義建築思想を打ち出していった。実作は住宅が中心で、エスプリ・ヌーボー館(1925)、シュトゥットガルト住宅博覧会の家(1927)、ガルシェのシュタイン邸(1929)、ポワッシーのビラ・サボワ(1928~31)などが知られる。このうちビラ・サボワは、端正な白亜の幾何学的形態のなかに、いわゆる近代建築の五原則(ピロティ、独立骨組、自由な平面、自由な立面、屋上庭園)を織り込んだもので、初期のコルビュジエを結論づける作品となった。
 1927年、ジュネーブの国際連盟会館の競技設計で、彼の応募作が最終段階で審査員団に拒否されたことを契機に、近代主義の組織化の必要を痛感し、翌年CIAM(シアム)(近代建築国際会議)の結成を主宰し、以後この組織の事実上の推進者となった。30年代の実作品には、パリのスイス学生会館(1932)、パリ郊外週末の家(1935)、ブラジルの教育保健省(協働、1936~45)などがあるが、この時期はCIAMを舞台にした都市計画の提案に多くの労力を割いた。
 第二次世界大戦後は、国連の会議事務施設のための企画と基本設計に始まり、マルセイユのアパート「ユニテ・タビタシオン」(1947~52)、奔放な彫刻的形態のあるロンシャンのノートル・ダム・デュ・オー礼拝堂(1953~55)のほか、リヨン近郊のラ・トゥーレット修道院(1957)、東京の国立西洋美術館(1959)などを残した。また、インドのチャンディガルの都市計画にも意欲を示し、最高裁判所(1950~56)などの庁舎建築を設計している。65年8月27日、南フランスのロクブリュヌ・カブ・マルタンで没。
 彼は生涯を通じて近代合理主義を推進しながらも、その基調にはギリシア以来の古典主義美学へ対する優れた感覚があり、これを同調させて鉄筋コンクリート建築の新しい局面を切り開いた。この意味でも、近代建築における巨匠としての位置づけがなされているのである。
 『ル・コルビュジエ 終わりなき挑戦の日々』(ジャン・ジャンジェ 創元社)によると、ル・コルビュジエは、「芸術の統合館」計画をいくつも練っており、この「人間の家」もその一つだそうです。彼の死後、画廊経営者ハイディ・ウェーバーの精力的な働きによってここに建てられました。(p.110) それではぐるりと建物のまわりを一周して外観を楽しみましょう。ガラス張りの金属構造の箱がどんどんどんと並び、一部の壁面はピエト・モンドリアンの絵のように白・赤・黄・緑で四角く塗り分けられています。その上を傘のように覆うスチール製の大きな二つの切妻屋根、片方がひっくりかえっているのがユニークですね。その各部が絶妙のバランスをとっているのが眼に心地良く、「建築家にとっても最も大事な資質は、比例に対する感覚だ」という彼の言に頷けます。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2015-10-06 06:42 | 海外 | Comments(0)
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