スイス編(14):チューリヒ美術館(14.8)

 途中で行き先を間違えたことに気づき、あわてて乗り換えました。停留所で待っている時でも、おもわず美しい町並みの写真を撮ってしまいます。やってきたトラムに乗ってやっとチューリヒ美術館に辿り着きました。1787年にオープンした歴史ある美術館で、近代絵画のコレクションで有名です。外装を改修中のようですが、開館していました。チューリヒ・カードを提示して無料で入場、服につける金属製の黄色いタグをもらいました。でも「S」とはどういう意味なのでしょう? 以前に訪問した時は写真を撮れたので受付で山ノ神に訊いてもらうと、フラッシュを使用しなければ撮影は可能とのことです。それでは荷物をコインロッカーに預けて見学を始めましょう。
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 まずはアルベルト・ジャコメッティの作品が一堂に会する部屋へ参りましょう。ぎりぎりまで削り取られ、ごつごつした棒のように屹立する人体。二つの車輪の上に危うげに立つ棒のような体。両側から潰されたような顔。あまり彼の作品は好きではないのですが、惹きつけられるものがあります。
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 スーパーニッポニカ(小学館)から、彼についての一文を紹介します。
Alberto Giacometti (1901‐66) スイスの彫刻家。スイスのシュタンパに生まれる。ジュネーブの美術工芸学校に学ぶ。イタリアに遊学後、1922年パリに住み、ブールデルの工房で学ぶ。25年ごろからキュビスム風の構成的な彫刻を発表。30年シュルレアリスムの運動に参加、『午前四時の宮殿』(1933・ニューヨーク近代美術館)を制作。しかしこれらの試みからふたたび自然に基づく探求、とくに人体表現へと帰り、35~45年の間、第二次世界大戦前から戦後にかけての苦悩と不安をまったく独自な人体表現に託した。凝縮されほとんど針金のようになった人体、荒々しくとげとげしい肌、ときには数センチにまで小さくなった大きさ。それらはとくに戦後世界の状況のなかで、人間の実存の表現として高く評価された。やがて人体はしだいに高くなるが、いっそう細くなる。晩年は弟ディエゴと妻アネットの顔に、人類の苦悩、そしてまた表現の苦悩そのものを託した。(中略) スイスの故郷に近い町クールで没。
 なお最近読んだ『巨匠に教わる絵画の見かた』(視覚デザイン研究所)の中には、以下のような解説がありました。
 ジャコメッティの関心は、現実を見えるとおりに表現するということだった。その結果、彼は、無駄なものをぎりぎりまでそぎ落とした細みの人体彫刻をつくりだした。人間の存在を凝縮したようなその彫刻は、ときに孤独や苦悩でふるえているようにも見える。(p.167)

苦悩、不安、孤独。なるほど、ジャコメッティの作品を理解するためのキーワードですね。それを彫刻として執拗に追及した結果が、こうした作品なのでしょう。前掲書に彼の言がありました。"我々が脚の長さや病気を選ぶことはできないように、自分の考えや表現方法を選ぶことはできない。明かりに集まってくる虫のように、ただ、夢中に熱中するのだ" (p.167)


 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2015-10-13 06:17 | 海外 | Comments(0)
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