そして西鉄特急で柳川へ。どんこ舟で堀割をまわり、昼食はうなぎのせいろ蒸し。御花・北原白秋
生家を見物。観光地化されてしまいやや騒々しいのですが、柳が堀割にその姿を映すきれいな街でした。

また西鉄に乗り、大牟田へ。三井三池炭鉱の町です。駅で自転車を借り、まずは石炭産業科学館へ。三池炭坑の概要をチェックし、大牟田市内の「近代化遺産」に関する地図・資料をもらいました。展示の中に朝鮮人の落書きがあります。太平洋戦争中、朝鮮から強制連行され三池炭鉱で働かされた人々が住んでいた馬渡社宅の押入れの中に残されていたもの。補償はどうなっているのか不明ですが、こうした展示として残すその見識は評価できます。近くにある三井港倶楽部は残念ながら非公開。そして三池港閘門①へ。石炭積み出しのためにつくられた港ですが、遠浅なため船が入港するとこの水門を閉めて水位を上げるわけです。一目で仕組みがわかるローテクさと、無骨・剛毅な佇まいが秀逸。団琢磨らがつくった石炭積み込み施設「ダンクロ・ローダー」②を遠望しながら市街地へ。そして市街地の真ん中に残る三池炭坑跡を徘徊しました。万田坑跡③は立ち入り禁止で遠望できるのみ。宮原坑跡も金網が張り巡らされていますが、穴があいており侵入可能です。坑内に資材を搬入する櫓と付属施設がほぼ完全な形で残っており、圧倒的な迫力で周囲を睥睨しています。この付近は炭住(炭坑住宅)④が残る、迷宮のような街並みでした。宮浦坑跡⑤は記念公園として整備されすぎて、あまり迫力なし。1888(明治21)年につくられた赤レンガ煙突⑥は健在です。炭坑節で歌われた煙突の面影を残すのは、もうここだけだそうです。西鉄で博多へ戻り、夕食はもち博多ラーメン。ナイト・キャップは薩摩のいも焼酎「小松帯刀」! 幕末の薩摩藩士。島津久光の率兵上京に同行し、家老側詰となる。大久保利通らを用い、大政奉還・討幕を画策。維新後、総裁局顧問・外国官副知事など枢要の地位にあったが、病気のため辞職。という人物ですが、それにしてもすげえネーミング。

というわけでこの二日間は主に近代化遺産をめぐりました。日本の近代化という歴史の証言者として心惹かれるのですが、それだけではなさそう。坂口安吾に語ってもらいます。「ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。…ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上っているのである。(日本文化私観)」 そう、留保なく美しいのです。こりゃしばらくはまりそう。彼は自分の文学もそうありたいと言っています。銘肝。
本日の一枚は、宮原坑跡の櫓です。安らかに眠れ…