『中東から世界が見える イラク戦争から「アラブの春」へ』(酒井啓子 岩波ジュニア新書)読了。毎朝、NHK-BSの「ワールド・ニュース」を見るようにしていますが、最近は暗澹たる気分になっています。歯を磨いてテレビのスイッチを入れると、フランス国営放送が中東から大挙してやってくる難民について報道します。受け入れか排除か、賛否両論のフランス市民。その後にはアルジャジーラ(カタール)が、中東の現場からリアルタイムで何が起きているかを報道します。アサド政権やロシアやフランスによる空爆、反政府軍やイスラーム国(IS)による反撃、その双方によって命を脅かされる一般市民。アル・アクサー・モスクをめぐる紛争、圧倒的な武力でパレスチナ人を傷つけ殺戮するイスラエル軍。各地で頻発するテロリズムの背景には、こうした非人道的かつ理不尽な無辜の人たちの叫びと悲しみと怒りがあるのではないでしょうか。
デモによって独裁政権を倒し民主化を進めた「アラブの春」から数年、なぜ中東ではテロや内戦が続いているのか。無力な私ですが、せめて無知・無関心であることだけはやめようと、関連図書を読むようにしています。そんな中、出会ったのが本書です。まず著者が中東、特にイラク研究の第一人者の酒井啓子氏であることに惹かれました。以前に読んだ『〈中東〉の考え方』で、その明晰な分析とわかりやすく読みやすい文章には一目置いています。そして岩波ジュニア新書の一冊ということも期待できます。本シリーズは何冊も読んでいるのですが、「知的であってほしい」という一流の学者や知識人による若者への熱い思いがびしびし伝わってきました。掉尾に掲げられている「岩波ジュニア新書の発足に際して」の一部を引用しましょう。 きみたちの前途には、こうした人類の明日の運命が託されています。ですから、たとえば現在の学校で生じているささいな「学力」の差、あるいは家庭環境などによる条件の違いにとらわれて、自分の将来を見限ったりはしないでほしいと思います。個々人の能力とか才能は、いつどこで開花するか計り知れないものがありますし、努力と鍛錬の積み重ねの上にこそ切り開かれるものですから、簡単に可能性を放棄したり、容易に「現実」と妥協したりすることのないようにと願っています。高い志ですね。学力をカッコでくくっているのもいいですね、安易なペーパーで本当の学力を測れるはずがありません。 さて、本書は中東情勢についての知識があまりない中高校生を対象とし、中東の歴史と現状およびイスラーム教とイスラーム主義についての解説、中東の若者が今何を考えているかについての紹介、そして日本とアラブ世界の関係についての分析をされています。該博な知識とわかりやすい説明もさることながら、通奏低音のように流れる中東の人びとへのあたたかい共感には感銘を受けました。特に印象に残った論点は三つです。 まず、宗教対立の根底にあるのが、経済的な不平等と差別にあるのではないかという指摘です。以下、引用します。 重要なことは、イラク戦争前だけでなくもっと昔から―第一次世界大戦後のイギリス統治時代にも、王政時代にも―、シーア派社会が、近代化のなかで経済発展から取り残されてきたことです。シーア派住民の多いイラク南部地域は、イラン・イラク戦争や湾岸戦争など、80年代以降ずっと続いたさまざまな戦争の戦場に、もっとも近い地域でした。なるほど、これは斬新な視点ですね。思うに、女性差別、民族差別、宗教差別、あらゆる差別が生まれる要因は、少数者への富や財の分配を減らすための口実・隠れ蓑という機能なのかもしれません。蒙を啓かれました。 二つ目は、過激なイスラーム主義とアメリカのネオコンには共通性があるという指摘です。引用します。 その意味では、実はこのビン・ラーディンのアルカーイダと、9・11以降にブッシュ政権を牛耳ったアメリカのネオコンとは、その考え方がよく似ている、と私は思っています。ネオコンとは、…軍事力を用いてでも民主主義という理念を他国に輸出しなければならない、と考える人たちです。どちらも、自分たちの理念を、他国に力で押しつけようとしています。それは、どちらも、自分たちの理想が世界中の人々にとっての理想だと信じているからです。理念を共有する他国の「同志」を守り、支えるために、自分の国でもないのにその国に棲みついて、武力を振り回すのです。もちろんアメリカの外交政策のバックボーンは、軍事力を行使してでも世界の経済的覇権を握るということにあると思いますが、それを糊塗するためにえてして「民主主義」という理念をもちだします。しかしよく考えてみると、それは「金を儲ける自由」であり「貧乏になる自由」なのですね。アメリカにとって利益となる理念を、武力をもって他国に押しつける。そのために一般市民が犠牲になってもやむをえない、それは付帯的損害(コラテラル・ダメージ)である。なるほど、過激なイスラーム主義とそっくりですね。中東情勢の混迷とテロリズムの横溢の原因は、両者のこうした行為によるところが大きいでしょう。 最後に「想像力の停止」という問題です。著者が本書で一番言いたかったことだと思いますので、長文ですが引用します。 私が本書を書いた、一番大きな理由は、中東という最も「違う世界」と思われがちな地域のできごとを知ることを通じて、みなさんに、その世界とともにあるという想像力を働かせてほしい、と思ったからです。戦争やテロと背中合わせに生きている人々もまた、実際には私たち日本人と変わるところのない平凡な日常生活を送り、当たり前の考え方をし、当たり前のことで泣いたり笑ったりして暮らしている。家族が死ねば泣き、辛い気持ちを持ち、叩かれれば痛く、悔しく思う。自分の言いたいことを抑えつけられれば不満を持つし、共感する相手がいれば一緒に行動したいと思うのです。ちょっとずつ違うけれども基本は同じはずの、世界のさまざまな人たちと、どのように折り合って平和を築いていくか、そんな根源的な課題を学ぶことが大事だとも述べられていました。この地球上で暮らす人間は、自分たちと同じ人間なのだと考え、想像力と共感と共振性をもって向き合うこと。中東の人びとに対しても、中国や韓国や北朝鮮の人びとに対しても、そして沖縄の人びとに対しても。そんな当たり前だけれど、とても大事なことをあらためて感じ入りました。
by sabasaba13
| 2015-10-24 06:34
| 本
|
Comments(0)
|
自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 お気に入りブログ
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||