ガイド・ツァーはここで終わりです。それでは外へ出て、外観を拝見いたしましょう。入口の上にあるキャノピー(外ひさし)は葡萄の蔦・葉・実を一面にちりばめた葡萄畑をモチーフにしたみごとな意匠です。左側にまわりこむと、御幣をかついだ猿の陶板がありました。ちょっととぼけたお猿さんなのですが、実は彼は魔除けです。『建築探偵 東奔西走』(藤森照信 朝日新聞社)によると、これは東北(艮)=鬼門の方角から鬼が入ってくるのを防ぐためで、江戸~東京では鎮守である山王社の神使である猿がその役目を果たすとのことです。ニワトリを模したユニークな物件は焼き窯で、これは新たに造られたものだそうです。ガーデンには恰幅のよいオリーブがありましたが、これは交流400年を祝してスペイン・アンダルシアから贈られた推定樹齢500年の古木だそうです。
そしてもう一つの見せ場、シガー・ルームの外壁を飾るタイル装飾です。輝く太陽、その光りを浴びて植物の花が咲き実がなり、小鳥やトンボが遊ぶ。生命の賛歌とも言うべき、華やかで明るいすばらしい意匠です。なお赤いハートめがけて上方から飛んでくる矢があるのですが、前掲書の教示では、建物のどこかに取り付けられたキューピッド像から放たれた愛の矢であるという言い伝えが小笠原家にあるそうです。先ほどこの件についてガイドの方に訊ねたのですが、思い当たらないとのことでした。またこれは今パンフレットを読んでいてわかったのですが、外壁左下に「Sone & Chujo, architects. 1926.A.D.」と刻まれた定礎銘板があったのでした。同パンフレットによると、
コンドルの四人の弟子(
辰野金吾・
片山東熊・佐立七次郎)の一人である曽禰達蔵は、政府や国家を建築で飾ることに一切興味を示さず、在野の建築家として活躍しました。自分の作品に名を刻むことをほとんどしない彼が、内装外装ともに最も力を込めたシガー・ルームの外壁にこの陶板を入れ込んだのは、それだけの思いがこの住宅に込められていたのでしょう。
というわけで素晴らしい建物でした。一度こんな邸宅に住んでみたいものだと誰もが思うでしょうが、現実はかなり辛かったそうです。『建築探偵 東奔西走』(藤森照信 朝日新聞社)に、当主の息子、小笠原忠統(ただむね)氏の談話が載っていたので引用します。
この家は忠統氏の父の長幹氏が昭和二年に建てたもので、できた時は敷地面積二万坪以上で、家の中にはトイレが十六カ所以上あったという。
こういう家に生れて育つということは、それはそれでなかなか大変らしい。
たとえば学校の友達が遊びにきても、家令(元小倉藩主の小笠原家では江戸時代の家老職を明治になってからこう言いかえた)がいちいち人品骨柄をチェックして自由には会えない。もちろん一人で外出したり買い物したりはなし。お金に触れてはいけない。(中略)
とにかく、家の中と外の世間は完璧に分離されていて、中から外が見えるのは塀の下のほうの通気用の穴だけ。子供の頃、塀の穴から外を歩く人のいろいろな足が見えると、なんだかせつない気持ちになったという。(p.80)
うーむ、まさしく「籠の鳥」。こんな暮らしはちょっと勘弁してほしいですね。
本日の四枚です。