言葉の花綵136

 人を使うなら、人を育てなければならない。よい建物をつくるためには、檜や杉を育てなければならない。棒切れや板っぺらを拾って来てつくれるのは、塵箱ぐらいなものだ。(黒澤明)

 わたしは自由をこよなく愛する。自由を抑えつけようとするあらゆる権威は、だから、わたしにとっては、一ばんいやなものである。権威を敬遠しつつ、なるたけ自由を多く生かしてゆくことは、かならずしも成功への近道とはいえない。しかし、成功をおくらせても自由を失いたくない場合には、わたしはもちろん、自由の方をえらぶのである。(今西錦司)

 余技の下手なものは本技も下手だ。(上村松園)

 順番を待っているだけの人間には、永久に順番が来ない。(藤山寛美)

 法律の保護を受けなければ、法律を守る義務はない。(田中正造)

 気力は眼に出る。生活は顔色に出る。教養は声に出る。(土門拳)

 自ら啓発すべきである。教えられただけしか描けぬような奴は、絵描きをやめろ。(横山大観)

 冷静に世間を観察すれば、偽善にして虫の良い輩ら、不公平にして横暴を振舞ふ族ら等、もし神仏が在ましたら早くどうかして貰ひ度ひものが頗る多いことが明白になつて来る。万一その連中が上に立つて其模範を示される様なことがあつては全く恐れ入るべきことであると云はざるを得ない。ところがさうした場合が昔から繰返されがちであるのが世相だと云ふことに気付いて見たら、正義の士は黙しては居られない筈である。(狩野亨吉)

 お前たちが大きくなつて、一人前の人間に育ち上つた時、-その時までお前たちのパパは生きてゐるかゐないか、それは分らない事だが、お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い遠い所に私を乗越えて進まなければ間違つてゐるのだ。(『小さき者へ』 有島武郎)

 質素之生活、高遠之理想 (エマソン)

 フランスはかつて国の名であった。用心しよう、1961年にはそれが神経症の名前かもしれないのだ。(ジャン・ポール・サルトル)

 人生はどちらかです。勇気を持って挑むか、棒にふるか。(ヘレン・ケラー)

 生きるとは呼吸することではない。行動することだ。(ジャン・ジャック・ルソー)
by sabasaba13 | 2016-03-04 07:21 | 言葉の花綵 | Comments(0)
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