伊勢・美濃編(5):波田須の道(14.9)

 しばらく歩くと斜面にへばりつくようにたたずむ集落が見えてきましたが、あれが矢賀(やいか)ですね。「徐福の宮」があるそうなので、時間があったら帰りに寄ってみましょう。さらにゆるやかな坂道を歩いていくと、山の斜面にラックのついたレールがひかれています。これは静岡県の由比でも見た、蜜柑などを運送するためのモノレール「モノカー」です。
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 そして国道311号線を横断すると熊野古道「波田須の道」の入口です。波田須駅から20分ほどで到着しました。
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 道路端に「表忠碑」があったので近づいてみると、日露戦争と「大東亜戦争」に出征して亡くなられた方々の氏名が刻んでありました。合掌。それでは…うぉっと、「クマ!出没!注意!」という看板がありました。何でも、このあたりでツキノワグマの目撃情報があったそうです。剣呑剣呑桑原桑原鶴亀鶴亀。♪いまさら後へは引けないぞ♪ということで、人間に慣れている熊に出会わないことを祈りつつ前進することにしました。
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 木々の間を抜ける細い山道をすこし歩くと、見事な石畳があらわれました。十分ほど歩いたところに解説板が二つあったので、転記しておきます。
熊野古道(伊勢路)
 熊野への道は、都から紀伊半島の西岸に沿って南下する和歌山県側の「紀伊路」と伊勢参宮の後、熊野三山へ詣でる巡礼の道である三重県側の「伊勢路」があった。伊勢を顕国(うつしくに)とするのに対して、熊野を幽国(かくれくに)とする原始信仰の素地に、日本人の多神教的なおおらかさと神仏習合思想が手伝って、伊勢神宮参拝後の熊野詣がごく自然に定着した。熊野古道「伊勢路」は、江戸時代に一般民衆の熊野詣が盛んになり、おおいに賑わったが、険しく厳しい旅路で遭難したり、病死した巡礼も多かったという。今も市内の所々に熊野古道が残っており、苔むした石碑や石畳道が往時を偲ばせる。

波田須の石畳
 近在の熊野古道の中でもっとも古風で、約80mにわたり鎌倉時代の石敷道がそのまま残っている。敷石は大きく、階段式に敷かれ重厚である。また鎌倉時代の石畳につづく江戸時代の敷石には、雨に備えた流れ溝も設けられている。路傍には休憩用の腰掛石がある。また、王子社があったと伝えられる広場には「熊野三神」と刻まれた自然石が残っている。

波田須の道
 この道に残る石畳は、一つひとつが重厚で大きく、敷き方も豪快で鎌倉時代のものといわれ、伊勢街道では一番古い時代のものである。この素朴な石畳は、江戸時代のものとははっきり区別ができる。
 雨量が多いこの地方では、石材に恵まれていることもあって道路保護のために多くの石畳道が造られた。所々に土砂流出を防ぐため「洗い越し」とよばれる雨水を流すための道路横断側溝も作られている。これら石畳、洗い越し、猪垣、猪落とし等は古道に関連する貴重な歴史的文化遺産となっている。
 ここ波田須の古道周辺には墓地や神社があり、古道が地域住民の皆さんの草刈り、道普請などの奉仕作業により大切に守られてきた。雨天時には滑るため、不便を来すこともあるが、何百年もの時の流れを経て今に至った貴重な文化遺産である古道を、今後も大切に守り続けていきたい。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2016-03-10 06:31 | 近畿 | Comments(0)
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