『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』(長谷川毅 中公文庫)読了。F・D・ローズヴェルトの死とトルーマンの登場、ポツダム会談、原子爆弾の実験成功、広島への原爆投下、ソ連の参戦、長崎への原爆投下、ポツダム宣言受諾、ソ連による千島(クリル)列島への侵攻、息が詰まるような太平洋戦争の最終局面を、豊富な史料を駆使しながら、スターリンという重要なアクターに目を配りつつ叙述した力作です。
著者の長谷川氏は、アメリカ市民権を取得し、カリフォルニア大学でロシア史を研究されている方です。よってこれまでの研究では不十分であったスターリン=ソ連の政策や意図について、かなり詳細に考察されているのが印象的でした。知力・気力の限りを尽くし、相手の出方を窺いながら、時にはしたたかに時には真摯に時には威圧的に時には慎重に、それぞれの「国益」をめぐって暗闘をくりひろげるスターリンとトルーマン。外交とはこういうものかと痛感しました。大粛清を行い全体主義体制を築いたスターリンではありますが、外交家としての力量はやはり卓絶したものです。もう一つの軸となるのが、降伏をめぐる日本の支配層の動きです。ドイツ降伏、沖縄での敗戦、ポツダム宣言発表など、戦争を終結させる機会が幾度となく存在したにもかかわらず、意見が分かれてその決定ができなかった為政者たち。そのためにいかに多くの人命が失われたことか。長谷川氏はそれを舌鋒鋭く批判します。 しかし日本では、ソ連の「火事場泥棒」のような振る舞いやアメリカの原爆投下を非難する声はあっても、戦争の終結を遅らせた日本の指導者の責任にたいする批判はあまり聞こえてこない。もし、日本政府がもっと早い段階でポツダム宣言を受諾して戦争終結の決断をしていれば、原爆もなかったし、ソ連参戦もなかったであろう。これは、必ずしも、ないものねだりではない。実際に、佐藤尚武大使、加瀬俊一スイス公使、松本俊一外務次官などは、これを主張していた。なぜ決定ができなかったのか。要するに、国民の生命よりも、組織防衛と自己の権勢の維持、および責任逃れを重視したためですね。その際のキーワードが「国体」です。私考えるに、「天皇の名を使えば、責任を問われずに好き勝手に、野放図に権力を使える体制」です。その体制を死守しようとする軍部、その体制が多少こわれても皇室の安泰さえ確保できればよしとする宮中グループ。そこには、国民を守るという視点は全くありません。やれやれ。こういう方々にきっちりと落し前をつけさせ、かつそれを歴史的記憶として共有するという作業を怠ったのが、現在につながっていると思います。あいもかわらず、組織防衛と自己の権勢の維持、および責任逃れを最重要視する管理エリート(官僚・政治家・財界)がいかに多いことか。 もうひとつの読みどころは、原爆投下に関する分析です。とくに新しい視点はありませんが、豊富な史料を使って、その経過を手際よくまとめられています。 アメリカで広く信じられている原爆投下正当論は、二つの仮定の上に成り立っています。第一の仮定は、トルーマン大統領は日本を降伏させる手段として、原爆投下か、アメリカ兵の大きな犠牲を伴う日本本土侵攻の二者択一を迫られたこと。第二の仮定は、まさに原爆投下こそが日本政府が降伏を受け入れた決定的な要因であること。以上二つの仮定から、原爆投下は、日本本土侵攻の際に予測される百万以上のアメリカ兵の命を救うためには必要であり、正当化されると論じられます。私もはじめて知ったのですが、2005年にドイツでドレスデン爆撃の60周年追悼式が開かれた際に、米国、英国、フランス、ロシア代表を前にして、ドイツのゲアハルト・シュレーダー首相は「われわれは本日ドイツのドレスデンとヨーロッパにおいて戦争とナチスのテロの支配の犠牲になった人々に追悼の意を表すものである」と宣言したそうです。一方、広島の平和記念式典での菅直人首相の演説では、「日本が今後核のない世界を建設する運動の先頭に立つ決意」を表明しながら、原爆投下の背景にあった戦争における日本の責任についてはいかなる言及もなかったそうです。 己の戦争犯罪を認めてきちんとした形で謝罪・補償をおこない、そしてアメリカ合州国の名誉と尊厳のため、原爆投下に対する謝罪を求める。安倍伍長にはかなり荷が重い仕事かな。でもぜひ行なっていただきたいものです。 そして広島を訪れるオバマ大統領には、未来だけではなく、過去にも眼を向けていただきたい。ある政治的目的のために無差別に人間を殺傷することを"テロ"と定義するならば、原爆投下という最悪・最凶・最低の国家テロを行なった国は、今のところアメリカ合州国だけなのです。(ちなみに"テロ"を実行した人間を"テロリスト"と呼びます。だとすると原爆を投下したアメリカ大統領は史上最悪の"テロリスト"ですね) それについて謝罪せず正当化するということは、ふたたび繰返す意思を持っているのでしょうか。 オバマ大統領のスピーチに注目したいと思います。
by sabasaba13
| 2016-05-24 06:32
| 本
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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